自分ひとりで乗り切ろうとしていた詩織
詩織は逮捕されたことはもちろん、夫、茂との離婚話が暗礁に乗りあげていたことや、金銭的に切羽詰まり、風俗でアルバイトしていたことなど、家族に何ひとつ洩らさず、自分ひとりで乗り切ろうとしていたようだ。気丈というか頑固というか、あまりにも自己中心的であったのかもしれない。もし他人に相談し、愚痴をこぼせるようなタイプであったら、傷口はこれほど広がらなかったのかもしれないと私は思った。そうした彼女独特の性格は逮捕された後の手記の中にも仄見える。
〈なぜ神様はいつも私を苛めるのでしょうか。私はもう世間を責めなく闊達になりました。徐々に自分のことが分かるようになりました。
私は人との付き合いが非常に下手で生来独善的な性格なのです。
私はあたかも、都市の喧騒から離れている辺鄙な山岳地帯にある一本の草のようで、喧騒と派手を必要としません。〉
詩織は手記では時折文学少女のような表現をするが、出来るだけ正確に訳す。
〈雑草は、ひじょうに生命力のあるもので、人々に繰り返し踏みにじられても腰を曲げられても、時間がたつにつれて、またまっすぐにそびえ立つようになり、新たに発芽します。嵐のような人生の洗礼を受けてさらに強靱になるのです。
踏み躙られても嵐にあっても、真夏の酷熱の下でも雑草は耐えられます。冬の厳しい寒さの中でも立派に生きていきます。〉
「被告が正しく生きられるよう指導していただきたい」
再び何の証言に戻ろう。
「被告の性格はやさしく従順で、両親にも良い態度で接していました。2人の子どもにたいしても、とてもやさしく、いつも心配していました。
今回のインスリンの事件を聞いて、私にはいまだに内容がよく理解できませんが、被害者やその家族に対しては、大変深く同情します。私は、被告に法律は守りなさい、罪を認め、悔い改めて遣り直し、被害者に償いなさい、といい聞かせます。そして日本政府には、更生のチャンスを与えて頂き、被告が正しく生きられるよう指導していただきたいと思っています。
彼女は根がまっとうな人間ですので必ず更生できると信じています。私が、子どもたちを預かっているのは親類だから当然のことです。子ども達に、現在の母親が置かれている状況は話しておりません。被告が刑を終え将来中国に戻りたいといったら、援助し、働く場所も探してやるつもりです。収監中はできるだけ手紙を書き励ますつもりです」
異国の法廷で、どちらかといえば、みすぼらしい風体で、おどおど訥々と訴える何の証言が裁判官たちの心をどれだけ動かしたかは不明だった。ただ、必死さだけは伝わったようだ。法廷を出てきた何に、私は「御苦労さま」とだけ声をかけた。いずれにしろ、これで、すべての審理は終わったのだ。