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“無責任体質”の起源

 では現在の東京五輪の組織委の会長にはどのようにしてなったのか。

「組織委の会長には就任する前、森さんは“(会長は)財界から出すのが一番いい”などと周囲に話していましたが、本心は全く違った。“自分が会長をやる”と密かに官邸に働きかけていたのです」(週刊新潮2015年8月13・20日号)、「『財界人に断られ、安倍総理からも電話があり引き受けるしかなかった』と語っていますが、森氏がやる気だというのは、官邸にも伝わっていました」(週刊文春2017年1月5・12日号)。

©文藝春秋

 このように、総理大臣もオリンピックの組織委の会長も自分からやりたいと言ったのではなく、誰かに「推されたから」「頼まれたから」やっているという立場をとる。これが森喜朗の無責任さの根源にある。

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「彼はいままで責任を取ったことがない」

 そして今回の失言では、「辞任を求める声が強くなれば、辞めざるを得ないかもしれない」(注4)と辞めるそぶりを見せる小芝居をしておいて、「今辞められたら、この夏のオリンピック回りませんよ」(注5)などと周囲の者に引き止めさせる。こうして自らの地位を守り、それどころか組織固めまでしてしまう。

 あるいは国内外の批判が起き、各地で抗議の声があがり続けようとも、身の回りの世界に話を狭めて、「娘にも孫娘にもしかられた」、「辞任する腹決めたが説得で思いとどまった」(注6)などと言っては、身内に叱られた、身近な人に許してもらったで、すっかり片付いたことにしてしまう。

 こうしてみていくと、森喜朗は責任回避の天才だとわかる。「政治は結果責任なんだが、だれも責任を取らなくなっている。そういう点では森さんは天下一品だ。彼はいままで責任を取ったことがない。いつもこれからの仕事に全力を尽くすと言うばかりだ」。これはかつて梶山静六が田崎史郎に述べた言葉だ(週刊朝日2000年6月23日号)。

「責任を取ったことがない。いつもこれからの仕事に全力を尽くすと言うばかり」と指摘した梶山静六 ©文藝春秋

 この人物評は、森喜朗が首相になった直後に掲載されたものだが、それから20年以上経った今のほうが、より多くの人に響くだろう。

森喜朗と「失われた20年」

 森喜朗とは旧態依然と無責任の象徴であり、東京五輪はそんな森喜朗の擬人化のようなものだ。「女の方だなあ、やっぱり(視野が)狭いなあと思った」(2007年)、「子供を一人もつくらない女性が、好き勝手とは言っちゃいかんけど、まさに自由を謳歌して楽しんで、年取って税金で面倒見なさいというのは、本当はおかしい」(2003年)――こうした発言をしてきた人物が、男女平等の原則を含んだ五輪憲章を掲げるイベントの長に就き、今も君臨し続けている。その一方で、くだんの発言の場となった評議員会は63人中女性はわずか1人だという。

 なにを言っても責任を取ることのない人物に取り込まれては、時間ばかりが失われていった。「森喜朗」とは、もう一つの「失われた20年」であるかのようだ。

注1)スポニチ 2021年2月5日記事「森会長、なぜ失言を繰り返す?…サービス精神と焦りやすさ、“神の国”など失言の原因に」

注2)産経新聞 2015年7月21日記事「森喜朗元首相 『新国立競技場の経緯すべて語ろう』」 

注3) スポニチ 2021年2月5日記事「森氏失言の背景にJOC女性4理事 19年8月、理事会非公開化反対されていた」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/02/05/kiji/20210205s00048000066000c.html

注4) 毎日新聞 2021年2月4日記事「森喜朗氏、会長辞任の可能性に言及 『女性が…』発言の波紋拡大で」
https://mainichi.jp/articles/20210204/k00/00m/050/033000c

注5) デイリースポーツ 2021年2月5日記事「スポーツライターが真相 森会長は辞任するつもりで自宅出ていた 会見前に慰留され…」
https://www.daily.co.jp/gossip/2021/02/05/0014057980.shtml

注6) 毎日新聞 2021年2月6日記事「森氏、会見の舞台裏明かす『辞任する腹決めたが説得で思いとどまった』」
https://mainichi.jp/articles/20210206/k00/00m/040/100000c