いまでこそ電子制御で最適な燃料噴射が行われる「インジェクション」と呼ばれる仕組みが導入されているからマシになったが、それ以前の「キャブレター」と呼ばれる装置の時代のSRは、本当にエンジンがかからないタイミングがあって泣きたくなることもあった(最新のSRの始動性に不安はない。これが多くの人が実感できる、デビュー以来いちばんの熟成かもしれない)。
これまでにSRのキックを何回踏んだだろう。夏場のエンジンが暖まっている時、プラグが被ってしまった時、レース直前にエンジンがストールしてしまった時、キャブレターのセッティングが出ていない時……仲間がいる時は交代しながら、1人の時はエンジンがかかるまで何度も何度もキックした。
そんなわけで、昔は修行とも呼ばれたキックだが、最新SRは誰もがその儀式を楽しんで行えると思う。市街地で“キック1発”でエンジンがかかると、(誰も見ていないのはわかっていても)妙な優越感に浸れるものだ。
性能だって、高いわけではない。SRは400ccもあるのに24馬力しかなく、200馬力を超えようとする最新の大型スポーツバイクは当然のこと、おなじ400ccのバイクで40馬力、50馬力と高い性能を誇る他のラインナップに比べても「パワー不足」は否めない。
ただ、数値では表現できない魅力にあふれた存在だった。
「タッタッタッタッタッ」エンジンがかかるとSRは小気味よくアイドリングを刻む。走り出すとエンジンのビートが全身に跳躍する。スロットルの開け方で変化するビートを感じ、受け止める。これがビッグシングル(排気量の大きい単気筒)だけが生み出すリズムだ。他のエンジンだとこの気持ちの良いビート感を味わえない。
走り出したらそんな数値はどうでもよくなる。SRのエンジンフィーリングは、どのギヤ、どの回転域でも酔えるのだ。まるで生き物のように呼吸し息吹を感じさせてくれる。スロットルを開けるとエンジンの脈動が早まり、鼓動が高まる。
スロットル操作をしながらSRとの対話を楽しむ。現代のバイクと比べたらタイヤだって頼りないほど細い。でもそれが難しさを感じさせない操作性を生む。気構えることなく操れるけれど、ベテランが乗っても物足りなさを感じさせない。だから僕は29年間もSRと走り続けているのだ。
“普通のバイク”であるSRはとても希少な存在だった
仕事上、様々なバイクに乗る機会が多い。大排気量も大パワーも超高級車もジャンルを問わずなんでも乗る。でもSRに乗るとその度に「SRはいいなぁ~」と思う。
SRには、バイクの本質的な楽しさを多くの人に知って欲しいというコンセプトが誕生以来ずっと込められていたはずだ。実際に人生に大きな影響を与えられた人達をどれだけ輩出してきただろう。僕もその1人だが、それは計り知れないものがある。
SRでバイクが好きになり、僕は21歳の時にバイク雑誌の編集部の門を叩いた。そこで仕事の面白さを知り、様々な人と出会い、今の僕がある。SRのムック本もたくさん作ったし、有名ショップのカスタムSRにも数え切れないほど乗ってきた。
SRでバイクの面白さを知ったからこそ、それを多くの人々に伝えたいと思い、今の人生に繋がっているのだ。