球史に残るあの伝説の走塁から9年……

 目の前で死球を食らった背番号7は、痛がるよりも両手をバチンと叩いて喜んでいた。

 カッコいい選手だな、敵ながらそう思ったことを今でも鮮明に覚えている。巨人と西武が対戦した2008年日本シリーズ第7戦、この試合に勝った方が日本一という大一番に東京ドームの客席は初回からランナーが出るだけで地鳴りのような拍手が沸き起こった。そして巨人1点リードで迎えた8回表、先頭の片岡治大がセットアッパー越智大祐から死球を受けて出塁すると、初球で果敢に盗塁を決め、犠打で三塁に進み、中島宏之(現オリックス)の三ゴロの間にギャンブルスタートでホームへ生還。同点に追いつくと、黄金の脚を持つ男は派手なガッツポーズで歓喜の雄叫びを上げてみせた。

 片岡治大という選手を一瞬で全国区にしたビッグプレーで一気に主導権を取り戻した西武は、この回に平尾博嗣のタイムリーで勝ち越し、最後はアレックス・グラマンが締めて4年ぶりの日本一に輝く。それにしても懐かしい名前の数々だ。第1戦の先発マウンドを任せられた両チームのエースが上原浩治(現カブス)と涌井秀章(現ロッテ)、シリーズMVPに輝いたのは岸孝之(現楽天)という顔触れにも時代を感じる。みんな若かった。ちなみに今は当たり前に使っているiPhoneが初めて発売されたのはこの年の夏のことだ。あの頃、大事に握りしめていたガラケーは今どこにあるのだろうか? 気が付けば、あれから9年が経ったのである。

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©文藝春秋

 当時25歳の片岡は08年に167安打で最多安打のタイトルを獲得、さらに07年から10年までパ・リーグ4年連続の盗塁王に輝き、まさにキャリアの絶頂にあった。その積極果敢なプレースタイルを、西武・渡辺久信監督の叱らずに選手を伸ばす指導方針が後押しする。渡辺監督の著書『寛容力』(講談社)によると、ある試合で片岡は三盗を決めた直後に牽制死を食らってしまう。まるでこの世の終わりという顔をしてヘコんでいるスピードスターに対して、ナベQはあえてくだけた口調で「ヤス、お前、あの状況を作ったこと自体が凄いじゃないか。お前がその1アウト三塁という状況を作らなかったら、牽制アウトはないんだから、全然気にすることないよ」と声をかけたという。確かに試合展開を考えると痛手、でも責任を負わせることで、大きな魅力である積極性を失ってほしくなかったから。片岡は「(痛恨の牽制死で)“もう今シーズンの出番はない。オレは終わった”と覚悟しました。でも、監督のひと言で、本当に気が楽になったんです」とマスコミにコメントを残している。日本シリーズのあの伝説の走塁は、いわばミスを恐れない渡辺野球の真骨頂だったのである。