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そのスピードと度胸で原監督から愛された男

 もしかしたら、08年日本シリーズで片岡の活躍に最も衝撃を受けたのは、相手ベンチにいた巨人・原辰徳監督かもしれない。のちに「マークしてマークして、マークしたけれども走られた」なんて自嘲気味に振り返るほどスピードと度胸に惚れ込んだ名将は、侍ジャパンを率いた翌09年のWBCで代表選出。期待通りに大会1位タイの4盗塁を決め、慣れない三塁守備も無難にこなし世界一を勝ち取った片岡に対し、原監督は自著『原点 勝ち続ける組織作り』(中央公論新社)の中で「サブの条件は足があり、守備のいい選手。そこで選んだのが内野の片岡と川崎(宗則)、外野の亀井(善行)。内外野のスーパーサブ3人の存在はとても大きかった。最終的に彼らがチームを救ってくれた」とその働きを絶賛している。

 13年オフには、自身の現役時代の「背番号8」を条件に盛り込みFAラブコール。交渉の席で「(ニックネームの)ヤスと呼んでいただいた」って高校生カップルのように照れ笑いを浮かべた片岡は二塁手不在に悩む巨人へ移籍すると、14年には126試合出場で4年ぶりに規定打席到達。チームトップの24盗塁とリーグV3に貢献してみせた。翌15年は通算300盗塁達成、チーム最多の36犠打、かと思えば5年ぶりの二桁本塁打と繋ぎ役だけでなく、小力で勝負を決められる理想的な2番打者だった。だが、その後は原監督も退任し、西武時代後期と同じく度重なる故障に悩まされ出場機会が激減。13年目の今季は右膝の故障に苦しみプロ初の1軍出場なしに終わり、10月1日に34歳の若さで現役引退を発表した。会見で片岡は「まだ悔しさの方が大きい」と本音もチラ見せ。同日の東京ドームでは名前入りタオルに背番号キーホルダーと片岡グッズを買い込む女性ファンの姿もあり、その人気の高さを窺わせた。

©文藝春秋

球場の雰囲気を変えられる片岡の“軽さ”

 今季11年ぶりのBクラスに終わり初めてCS出場を逃した巨人だが、幾度となく「片岡がいればなぁ」と思ったのは事実だ。13連敗中はもちろん、勝負どころの9月に完封負けを繰り返す巨人ベンチはとにかく重苦しい空気だった。球場で見ていても、ベテランが多く覇気がないというか暗い。いつの時代も伝統っていうのは、プライドにもなるが、ときに足枷にもなる。

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 だから、あの片岡の登場曲B’zの能天気に明るい『ultra soul』が恋しくなった。映画『モテキ』で主人公のサブカル男子が、カラオケでB’zを歌うシーンがある。それまでは稲葉さん苦手とか思って避けてきたのに、実際歌ってみると「B’z、すげー気持ちいいっ!」ってテンションが上がっちゃうあの感じ。片岡のプレーもそれに近い雰囲気がある。良くも悪くも、軽い。イージーミスもあれば、涼しい顔してスーパープレーをしてみせる。その軽薄さで、球場全体の雰囲気を軽くしてくれた背番号8。ファンも「ウルトラソウルのあとの掛け声は、ヘイ! ハイ! どっちなの?」なんて笑ってる。物議を醸したベース上でのヤスダンス。頭部に死球を食らい車椅子で運ばれみんな心配する中、なぜかサッカー日本代表のユニ姿で報道陣の前に登場。そんな、片岡の偉大なる軽さ。巨人では本当に貴重な選手だった。

 引退のニュースを聞いて、昨夜は2008年日本シリーズの映像を繰り返し見た。不思議なものだ、自分は巨人ファンなのに、あの8回表の西武トップバッター片岡の勇姿を追ってしまう。「速いものは、みな美しいのである」かつて小説家の村上龍はそう言った。9年前の秋、三塁から恐ろしいスピードでホームに突入した男のプレーを一生忘れることはないだろう。

 See you baseball freak……

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