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「祝」の要素はまったくない日

 明治天皇は明治45年の7月30日になくなり、しばらくして政府は「七月三十日を明治天皇祭として休みとする」と告知した。

 明治国家では、「先帝の亡くなった日」はずっと祭日であり、休みである(昭和22年までそうだった)。

2021年を迎えて発表された天皇ご一家のお写真 宮内庁提供

 明治天皇の父・孝明天皇は慶応2年の12月25日に亡くなっているが、それを太陽暦に直して1867年1月30日崩御として、明治時代は1月30日は「孝明天皇祭(先帝忌)」として休みだった。(西洋嫌いだったと言われる孝明帝がその日付で納得したのだろうかと、ちょっと不安になってしまうが、どうしようもない)

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 あくまで祭日である。祝日ではない。祝祭日とよく一緒にされるが、「祝」と「祭」では意味が違う。「先帝の亡くなられた日」は祭日であって、そこにはいっさい「祝」の要素はない。

 明治時代は先帝孝明天皇の亡くなった「1月30日」、大正時代は先帝明治天皇の亡くなった「7月30日」が「先帝忌(先帝祭)」となり、休みの日となる。

 休むのは、いわば「国民的な法事の日」としての休みである。「先帝を偲ぶ」ないしは「先帝を祭る今上帝の心情を偲ぶ」ための日として、休みとなった。

2020年2月、天皇陛下の即位を記念した特別展「令和の御代を迎えて」を鑑賞される天皇皇后両陛下 ©時事通信社

クリスマス騒ぎと重なった12月25日

 大正天皇は、大正15年12月25日に崩御され、昭和と改元あって、「12月25日が大正天皇祭」となる。

 ただ、明治の末年と、大正の末年では、日本社会がまったく違っていた。

 このあと12月25日が「先帝を偲ぶ日として休日」になったが、たまたまそれはクリスマスでもあったので、昭和の前半期、日本国内におけるクリスマス騒ぎが激しくなっていった。日本のクリスマスが広くばか騒ぎの時期となるのは、バブル時代(1980年代後半)よりはるか古く、昭和初年(1920年代後半)に始まっていたのである。カフェーやダンスホールで騒ぐ人たちが跡を絶たなかった。

 1920年代はアメリカでは「ローリング・トゥエンティーズ」と呼ばれた「狂騒の1920年代」であり、日本もそれに負けじと大騒ぎをしていた時代だったのだ。1910年代の欧州での世界大戦に参戦しながらも国土が無傷だった大国がアメリカと日本で、どちらも「浮かれた1920年代」を過ごしていた。