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意外と知らない「天皇誕生日」の始まりとルール なぜ明治と昭和は休日で、大正は休みじゃない?

2021/02/23
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4月3日もお休みだった

 大正元年に示された「大祭祝日」には以下の日も含まれている。

 神武天皇祭 四月三日

 春季皇霊祭 春分の日

 秋季皇霊祭 秋分の日

「神武天皇祭」は、神武天皇の亡くなった日である。初代の天皇だからずいぶん昔のことであり、まだあまり人と神とが分かちがたかったころの話だけど、新暦に直したら4月3日だとわかったので、その日はずっと休みである。

 また春季と秋季にある「皇霊祭」も、歴代天皇の御霊を祭る日として休みになった。もともとお彼岸として昔からお墓参りに行く「祭日」であったのだが、明治国家となり「今上帝が祖先の皇霊を祭る日」としてあらためて休みとなった。

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消えた祭日、残った祭日

 昭和の途中、戦争に負けて、天皇家に関するいろんなことが変わった。

 祝祭日もいくつか変わった。自国民による革命が起こったわけではなく、戦争に負けて変えられただけなので、変わりようが中途半端である。

 天皇誕生日は残ったが、先帝祭はなくなった。神武天皇祭もなくなった。でも「明治節(明治時代の天長節)」は名前を「文化の日」と変えて残った。

「紀元節」はいったん廃止されたが、敗戦後22年経って昭和42年から「建国記念の日」として復活した。(当時私は小学生だったので、いきなり休みが増えたので印象的であった)

 昭和天皇が崩御され、平成元年からは12月23日が天皇誕生日となった。

 先帝の誕生日4月29日はすでに62年ものあいだ休日であり、しかも戦後は「春の大型連休の一日」に組み込まれてはずせない休日になったので、名前を変えて存続している。先帝の誕生日が継続して休日であり続けるのは史上初めてのことであり、おそらく特例である。

昭和天皇 ©️文藝春秋

 大正天皇に関する記念日は残っていない。

 敗戦のおりに「大正天皇祭(12月25日)」が廃され、「先帝の誕生日を記念日にする」という習慣はないため、そのままになった。

 事例としては「先々帝の誕生日を記念日にする」というのがあるので(昭和になったときの明治節の設定)、昭和天皇崩御のあとが(平成の天皇誕生日が制定されたときが)大正帝ゆかりの祝日を復活させる機会だったことになるのだが、たぶんあまり議論もされなかったのだろう。いまだに存在しない。

実は流動的な「以前の陛下のお誕生日」の扱い

 平成時代の天皇陛下は平成31年に譲位され、祝日が変わった。

宮内庁提供

 12月23日の天皇誕生日がなくなり、2月23日が新たな天皇誕生日となった。先帝の誕生日祝日は改元後はなくなるという慣例どおりである。

「在位中の今上陛下の誕生日」は明治元年以降、わが国ではずっと祝日として休みである。これは154年間、変わっていない。

 ただ、改元あってのち、それ以前の陛下のお誕生日をどうするか、というのには決まりはない。明治と昭和は残っているが、それ以外は現在では休みではない。そこはやや流動的な部分がある。

©JMPA

 それがいわば「立憲君主国」としての我が国の特徴なのだ。日本らしいところ、というわけである。

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