「私は政治とか社会の問題は、不確かな“変数”が多くて複雑すぎるから、あまり語りたくないんですが、それでもコロナのおかげで、『国家とは何だろう』ということを少しは考えるようになりました」
そう語るのは、解剖学者の養老孟司氏(83)だ。著書『バカの壁』(2003年)において、「自分が知りたくない情報を自ら遮断」してしまう人々との間のコミュニケーション不全を指摘した養老氏の目に、新型コロナウィルスという未知の「壁」を前にした今の日本人の姿はどう映っているのだろうか。
漠然とした「空気」で動いているように見える
この間の日本政府の対応について、養老氏はこう述べる。
「政府のコロナ対策は、あまりうまくいっているとはいえません。『Go To キャンペーン』をめぐる対応にしても、『緊急事態宣言の発出』にしても、後手後手で徹底し切れていませんね」
感染症対策は本来、軍事や経済と同じで「ああすれば、こうなる」という「予測と統御」の原理に基づいてなされるべき、と養老氏は語る。例えば「人と人との接触をこれだけ減らせば、2週間後にはこうなる」というのは、まさに「予測と統御」に基づく発想といえよう。
「ところが、政府は案外、そういう『予測と統御』の原理では動いていない。もうちょっと漠然とした『空気』で動いているように見える」
とりわけ養老氏が「一番気になった」のは、政府の「お金の出し方」だという。
「(国家には)色んな定義があるのでしょうが、国民が必要なときに必要なものを提供する、それが国家だろうと思うんです」
昨年の緊急事態宣言の頃は「休業補償」のないままの自粛要請がまかり通り、全国民への一律10万円給付までにも紆余曲折があったのは周知の通り。ところが、その後はむしろ「大盤振る舞い」で、昨年12月には今年度3回目、総額73兆円超のコロナ経済対策が閣議決定された。