1ページ目から読む
2/2ページ目

「自粛警察」「不要不急」のおかしさ

「“裏付けのないお金”を出して赤字予算をくんだわけです。振り返ってみると、これまでに出した金額を、昨年の緊急事態宣言の時点で思い切って入れて、しっかり補償して休業してもらえば、もう少しいい方向に行っていたんじゃないかな、という気もします。

 もちろん結果論であることは重々承知していますが、それでも、司馬遼太郎さんが旧日本軍の悪弊として指摘した『戦力の逐次投入』という言葉をどうしても連想してしまう」

 さらに、時代を経ても変わらない「日本的な空気」があるとして、こう指摘する。

ADVERTISEMENT

「『自粛警察』とか『不要不急』という言葉が使われています。『自粛警察』は、やっぱり戦時中と似通った雰囲気を感じましたね。自分で判断するから『自粛』なのに、それを周囲の空気に半ば強制されるというのは、不思議な話です。『不要不急』なんて言葉もそうです。何が『要』で何が『急』なのか、いったい誰が決めるのか」

 新型コロナウィルスのパンデミックは、現代社会が「行き着くところまで行った必然の帰結だった」と語る養老氏。「コロナの壁」が明らかにしたものは、日本人と日本社会の偽らざる姿だったのかもしれない。はたして、この壁を乗り越える方法は、あるのだろうか。

出典:「文藝春秋」3月号

 新型コロナウィルスと日本人、解剖学者の目で見た新型コロナウィルスの「本質」や、コロナ後の世界の見通しなどについても語った養老孟司氏の「『コロナの壁』を乗り越えよ」全文は、「文藝春秋」3月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。

文藝春秋

この記事の全文は「文藝春秋 電子版」で購読できます
「コロナの壁」を乗り越えよ