「コロナの壁」を乗り越えよ

養老 孟司 解剖学者
ニュース 社会
新型コロナは「脳化社会」の病。取り戻すべきは「身体性」だ

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▶︎「神様目線」で今日は何人死んだと数え上げることは、私たちから「死」のリアリティを切り離してしまう
▶︎コロナパンデミックは、「脳化社会」が行き着くところまで行った必然の帰結だった
▶︎あまりに状況を「微分」しすぎて、わかりやすくしすぎてしまうと、全体を見誤る可能性がある
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養老氏

死とは「2人称」

 日本国内で新型コロナの感染者が確認されてから1年が経ちました。ここまでの経過を振り返ってみても「予想外」という感じはありません。ワクチンができて集団免疫ができるまでは、ズルズル続くだろうなと思っていました。

 この間、私自身は、基本的に家でじっとしていました。こんなに時間ができたのは学生時代以来ですね。今まで手がつけられずにいた昆虫標本の整理をしたり、論文の準備をしたり、オンライン取材で対談本を出したり、あとはテレビやYouTubeを見たりして過ごしていました。(YouTubeで)よく見るのは、猫とか犬とか、いわゆる「かわいい動物動画」ですね。こういうときは、あまり難しいことを考えずに見られるものがいい。

 テレビでは連日、「今日の新規感染者は何人」とか「死亡者が何人」と報じていますが、私には少し違和感があります。というのは、数字というのは抽象に過ぎないのに、まるでそれを“事実”そのものかのように扱っているからです。これは厄介です。数字に囚われるあまり、実際に起きている本当の事実が見えにくくなる可能性がある。

 そもそも「今日の死亡者は何人」というのは、「神様の目線」です。私はよく、死とはつまるところ「2人称」なんだ、と言っています。1人称の死、つまり自分の死は、死んだら意識がなくなるから、実は関係ない。3人称の死、彼や彼女らの死は今も世界中のいたるところで起きていますが、これをいちいち気にしていたら日常生活を送れない。

 しかし2人称の死、つまり配偶者や肉親などごく親しい「あなたの死」は、心に深い傷を負う。我々が考えるべき死はこれだけです。

 ですから「神様目線」で今日は何人死んだと数え上げることには、あまり意味はない。それどころか、かえって私たちから「死」のリアリティを切り離してしまっています。

「脳化社会」の落とし穴

 なぜ、こういうことが起こるかというと、現代は人間が脳の中で図面を引いて作った「脳化社会」だからです。「脳化社会」では、意識ですべてがコントロールされ、合理的・効率的・経済的であることが最優先されます。「死」は現実そのものですが、コントロールできないものなので、現代社会においては「ないこと」にされてしまうわけです。

 養老氏は2014年の著書『「自分」の壁』で、「脳化社会」では「死」が遠ざけられる傾向があると指摘し、こう書いている。
〈その影響が澱のように溜まっていき、ある程度の時点で、クリティカル(重大)な転換点を迎える可能性がある。今の人たちは、パラダイムシフト(大きな転換点)を経験していません。せいぜいバブル崩壊やリーマンショック程度です。しかしこのままの流れが進むと、なにか大きな落とし穴があるかもしれない〉
 今回のコロナパンデミックは、私が危惧していた「大きな落とし穴」です。「脳化社会」が行き着くところまで行った必然の帰結だったと言えるかもしれません。すでに平成の段階で煮詰まっていたと思いますが、インターネットの発達によって、より加速したと思います。

「脳化社会」とは、人間の意識によって“効率よく”デザインされた都市のことに他なりません。人口密度の低い鳥取県や島根県で感染者数が少ないのは、新型コロナがまさに「脳化社会」の病であることを端的に示しているとも言えます。

「脳化社会」が行き過ぎるとなぜいけないかといえば、「身体性」がないがしろにされるからです。わかりやすい例でいえば、今はネットショッピングで食料から何から生活に必要なものはすべて、家から一歩も出ずに、手に入れることができる。「身体」を使う必要がないわけです。

 では、「身体性」を取り戻すには、どうすればいいのか。手っ取り早いのは、人間が意識的に作らなかったもの、つまり大自然に触れることです。都市が意識の産物だとすれば、大自然は無意識そのものです。

 ですから私は、10年ほど前から「参勤交代のススメ」を説いてきました。都会に住んでいる人が、1年のうち3カ月間、地方に移り住むのです。そこで自家農園をやって土に触れたり、農業や漁業など第1次産業の手伝いをしたり、あるいは、街灯のない夜の暗さを体感する。怠けず、自分の身体を使って働くことで、都市生活で失われた身体感覚を多少なりとも取り戻せるし、さらにいえば、地方における空き家問題や労働力不足の解決にも一定の効果があります。

 このコロナ禍によって昨年7月以降、東京は5カ月連続で転出超過になっています。転出者が転入者を上回り、東京から人が出て行っているんですね。ごく自然な現象だと思います。地方移住には潜在的なニーズはあったけど、これまでの状況ではその流れが固まらなかったのが、コロナによって一気に変わりました。

 コロナ前もよく「退職したら、老後は田舎で暮らしたいな」という人はいましたが、私に言わせると、それだと遅すぎるんです。

 2、3年前に大分に行く機会があったんですが、地方都市なのにやたらとマンションが建っているんですね。それで地元の人に「戸建ての空き家があるのでは?」と依いたら、「みんな年寄りだから、戸建ては手入れが大変だと敬遠するんです」。

 田舎は、自分の身体を駆使して生きなくてはならない世界ですから、身体が十分に動くうちに行かないと間に合わなくなる。ですから、テレワークの普及で、働き盛りの世代にとって地方移住へのハードルが低くなったことはコロナがもたらした良い変化のひとつだと思います。

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「空気」で動く日本政府

 政府のコロナ対策は、あまりうまくいっているとはいえません。「Go To キャンペーン」をめぐる対応にしても、「緊急事態宣言の発出」にしても、後手後手で徹底し切れていませんね。

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source : 文藝春秋 2021年3月号

genre : ニュース 社会