渋谷がこう明かしてくれた。
「こちらも敵の本陣にいるわけですから、突っ張ったって仕方ない。さすがの菅さんも一生懸命言い訳をしていました。それから選挙のたびに毎回向こうへ挨拶に行くようになりました。逆に菅さんが県連会長のときなどは、神奈川県で唯一、公明党が公認を出している6区の上田勇さんを、自民党の神奈川県連として徹底的に支援しました。大変感謝され、そのあとからとくにいいムードになった。三回目、四回目、五回目ぐらいになると、雰囲気ががらりと変わりました。『おい渋谷、最初はほんとに怖かったな』と菅さんも笑っていました。初当選のときはいまとは隔世の感があります。菅さん自身、いまや学会に相当なパイプを持っていますからね」
菅と創価学会副会長の佐藤浩との関係は政界で知られるところだ。変わり身の早さは政治家の常ではあるが、菅はもともと政策にこだわりがないタイプでもある。
地獄の菅軍団
秋田出身の菅は神奈川ではいわば落下傘候補だ。にもかかわらず地元でこれだけ戦えた理由の一つとして、小此木事務所仕込みの秘書の働かせ方を挙げる関係者が少なくない。
「小此木彦三郎事務所では、先生が東京から地元に帰ってくると聞いただけで、秘書が胃潰瘍になってしまうぐらい、厳しかったそうです。菅先生はそこでずっと厳しい秘書時代を過ごしてきているので、東京にいても私たちのやることが手にとるようにわかる。あとから『おまえ、何でこれやってなかったんだ』と叱られることもしょっちゅうでした」
菅派の神奈川県議、加藤(前出)が冗談めかしてこう話した。菅事務所では私設を含めた6~7人ほどの秘書たちが常にフル稼働し、地元を走り回っている。
「たとえば菅先生が地元に帰ってくるときは、支援者を集めて国政報告会を開き、秘書が講演に来る人を集める。町内会単位で講演会を開くのですが、町内会がいくつか集まっているのを連合町内会と呼んでいて、西区だけでも連合町内会が6地区もあります。西、南、港南区すべてのその地区で国政報告会を開き、終わったあとに『なぜ、この人は来なかったのか』と問い詰められる。それほど厳しいので、神奈川県内の他の秘書連中から、菅事務所のことは“地獄の軍団”と呼ばれているほど。他の事務所で秘書を叱るとき、『いっぺん菅事務所で働いて修行してこい』と言われるそうです」
国政報告会では、安全保障法制に賛成か反対か、消費増税について意見はどうか、といった政策テーマを投げかけ、支援者たちの反応を探る目的もあるという。ビラやアンケートを配るのも秘書の務めだから、忙しくて目が回る。地獄の菅軍団の秘書たちが、菅を支えてきたといえる。