鍛え抜かれた秘書たち
そんな秘書たちはやがて地元横浜市議や神奈川県議となり、議会で菅派を形成、後輩秘書たちといっしょに首長を担ぐ。テレビキャスターから神奈川県知事になった黒岩祐治も菅派首長の一人だ。神奈川県議になった加藤が、2011年3月の黒岩知事誕生秘話を明かしてくれた。
「現職だった松沢成文知事が東京都知事選に出馬すると言い出して急に辞め、菅先生が自民党神奈川県連会長をやっていましたので、これは何とかしなきゃいけないと動いたわけなんです。黒岩さんを担ぎ出した知事選では、菅事務所の後輩秘書が手伝いに行きました。僕が菅事務所から抜けたあと、菅先生が地元事務所の責任者にしていた千田勝一郎という秘書です。おかげで知事選に当選した黒岩さんが千田をずい分気に入りましてね。『千田さんを私のところへください』と菅先生に頼んできたらしい」
千田は出身地の岩手県から参議院選に出馬した経験がある政治家志望の秘書だった。そのため当人は菅事務所に残りたい、と黒岩からの申し出を断ったという。
「すると、僕が菅先生から『おまえはどう思うか』と相談を受けました。それで、『彼は将来的に議員をやりたがっています。知事の秘書になれば神奈川中の人脈をつくれるから、彼にとっては滅多にないチャンスだと思います』と言うと、菅先生は『それならおまえが奴を説得しろ』と任せられてしまいました。そうして菅先生を交えて三人でランチしながら、『君の将来のためにも勉強になると思うよ』と口説いたのです。黒岩知事を担いだのは菅先生ですから、先生にも責任がある。黒岩さんを応援したのは自民党だけではなく、民主党さんだとか各党に気を遣わなきゃいけなかったから。千田を出すのは痛いけど仕方なかったんです」
●選挙を“楽勝”に導く太い人脈
菅は秘書たちに指示し、地元の自営業者から大手の鉄道会社、建設や不動産会社などに声をかけ、朝食会などを頻繁にこなしてきた。もとはといえば、小此木彦三郎の秘書時代に築いた人脈だが、その大半がいまや菅の支援企業となっている。渋谷もこう話した。
「横浜には、秘書だけでなく、民間企業の菅軍団もいましてね。市会議員のころから菅さんのことが大好きで、菅さん命、みたいな企業の社長さんや幹部の人たちです。めっぽう選挙に慣れている人たちなので、そこが動けばたいてい大丈夫。菅さん自身の衆議院選挙だってその人たちが仕切ってくれるし、菅派の市会議員の選挙なんかもその人たちのおかげで楽勝なんです。そういう人たちと年に何回か朝食会をやる。あの人たちの偉いところは、われわれに仕事を頼んだりしない。だから付き合いやすい。そういう人脈を30~40年きっちり大事にしています」