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楠本保は、春夏計6回甲子園に出場。トルネード投法から繰り出す豪速球で、甲子園通算15勝、ノーヒット・ノーラン1回、奪三振203個という現在でも“甲子園史上最強投手”の呼び声高い剛腕投手だ。
一方の吉田正男は、夏の甲子園3連覇を達成する制球天下第一と賞された怪腕で、歴史に残る明石中との延長25回1対0の激闘を1人で投げ切り、その翌日の決勝戦にも先発して平安中を1点に抑えて優勝という超人的な鉄腕の持ち主だった。甲子園通算23勝は、いまだに史上最多記録である。
明石中・楠本の打者を威圧する豪速球、中京商・吉田の自在の制球と疲れを知らぬスタミナ。甲子園の歴史に残る2人の大投手から、栄治は多くのものを学んだに違いない。
沢村栄治、その最大の特徴
因みに、この二大投手との比較で言えば、1年後に栄治が職業野球入りする際の読売新聞の紹介記事の中でこう記されている。
「楠本にしろ、吉田にしろ球は素晴らしいが投球モーションにはなんとなく固さがある。柔らかさに乏しいのである。そこにゆくと沢村の投球モーションは実に滑らかでのびのびした見事なフォームで(中略)沢村がその剛球と共に前途に多大の嘱望をされている所以はここにある」
栄治の最大の特徴は、その美しくしなやかな投球フォームにあったのである。
こうして、翌1934年に17歳、京都商業の最終学年となる沢村栄治の短い、しかし強烈な光を放つ全盛期が始まろうとしていた。