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米朝首脳会談の5日前というタイミング

 この北朝鮮大使館襲撃事件は、2019年2月末にベトナム・ハノイで開かれた米朝首脳会談のわずか5日前に発生したこともあり、当時国際的な注目を集めた。特に、ハノイでの米朝首脳会談に向け、アメリカとの実務協議担当者に就任したキム・ヒョクチョル氏は、2017年9月までこの駐スペイン北朝鮮大使を務めていたからだ。同氏は、北朝鮮による度重なる弾道ミサイルの発射や核実験によって北朝鮮に対する国際世論の批判が強まる中、スペイン外務省によって、「好ましくない人物」と認定されるペルソナ・ノン・グラータの宣言を受け、国外退去処分となっていた。

 アメリカにすれば、当時、米国務省のビーガン対北朝鮮特別代表氏のカウンターパートとして一気に表舞台に出てきたキム・ヒョクチョル氏がいったい何者であり、どのような考えの持ち主であるかという情報を死ぬほど入手したかったとしてもおかしくはない。

「自由朝鮮」の代表、エイドリアン・ホン氏(「朝鮮インスティチュート」ホームページより)

 事件後、スペインの主要メディアは、捜査当局のスペイン警察とスペイン国家情報局(CNI)が襲撃事件にはアメリカ中央情報局(CIA)が関与していると判断したと報じていた。

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 しかし、最近になって、こうした従前の見方を一気に覆す新たな証言が出てきた。

実行犯が「襲撃はやらせだった」と新証言

 大使館襲撃の実行犯の1人として、アメリカで逮捕・起訴された自由朝鮮の元メンバーでアメリカ海兵隊出身のクリストファー・アン被告が、「襲撃は偽装工作(やらせ)だった」と証言したのだ。アン被告は2021年2月22日にロサンゼルスの連邦地裁に提出した文書で、このことを明らかにした。

 韓国系アメリカ人のアン被告は事件2カ月後の2019年4月、襲撃事件の実行犯の1人としてロサンゼルスで逮捕された。そして、同年7月に保釈金130万ドル(約1億4000万円)を支払い、連邦地裁に保釈が認められた。自宅軟禁の条件で釈放され、現在は裁判を受けている。アン被告はスペインへの身柄引き渡しの可能性があり、これに強く抵抗している。

 アン被告は連邦地裁に新たに提出した6ページにわたる文書で、自分自身は北朝鮮外交官を縛ったり、武器を持参して大使館の中に入ったりはしていないと主張した。そして、犯行当日の朝にマドリードに到着し、自由朝鮮のリーダーであるエイドリアン・ホン氏から現地で指示を受けただけだと主張した。

スペインの北朝鮮大使館の中に入るクリストファー・アン被告(米司法省より)

 アン被告によると、大使館に勤務する北朝鮮外交官の1人が「誘拐事件に見せかけて北朝鮮から亡命したい」とホン氏に事前に依頼していた。そのような偽装工作を行うのは、亡命後に北朝鮮政府からのあらゆる報復を防ぐためだったという。アン被告が裁判所に提出した文書では、この外交官の名前は黒塗りになり、伏せられているが、前述のソ氏とみられる。

 アン被告は提出文書の中で、「北朝鮮は監視国家であると知っていたことから、大使館内は監視カメラであふれ、私たちが大使館内で行うことすべてを北朝鮮政府が把握できると十二分に予期していた」と主張した。

 そして、「自分自身は武器を持っていなかったものの、グループのメンバーは武器を持っていた。私の理解では、模造銃を含めた、そのような武器所持の目的は、『誘拐事件』をいかにも本物らしく見せるためであり、いかなる人も傷つけるためではなかった」と述べた。

 アン被告は「事件当時、右手を骨折していた」と言い、北朝鮮外交官たちを自らの手で拘束できなかったと主張した。また、「大使館職員に一切の暴力をふるっていない」と述べ、大使館職員の抵抗は北朝鮮の監視を意識してのものだと主張した。

 米誌ニューヨーカーの2020年11月の記事によると、ホン氏の指示の下、自由朝鮮のメンバーは大使館から脱出する際に、スペイン政府に対し、同国に入国するいかなる北朝鮮人をも監視するよう求める電子メールを送った。なぜなら、北朝鮮政府によって大使館職員に危険がもたらされる可能性があったからだ。アン被告が提出した裁判文書にも、この事実を一部裏付ける記述がある。