子どもへの絶対的権力に無自覚な親たち
先の若い父親も、キャバクラで働く若い母親も、親になったとたんに社会から付与されたものがある。それは、子どもという存在に対する絶対的権力である。親からの暴力や育児放棄によって子どもの命が危険にさらされるとき、誰もが子どもを救わなければと思うに違いない。ところが、夫からの暴力によって命の危険や精神的危機に陥った妻には、多くは「妻にも原因がある」「よほどのことがなければあんなひどいことしない」「男は手のひらの上で転がしていればいいのに」と、むしろ批判が集中するのだ。
つまり、子どもへの暴力は、無条件の弱者であるがゆえに絶対悪となるが、妻はそうではないとされる。対等な大人であり、逃げようとすれば逃げられるはずだ、と。子どもとは異なる判断力をもっているはずだし、夫婦は対等なはず。だから、そのあいだに起きる様々な出来事は、夫婦で解決すればいいのだ、と。建前上の男女平等原則を踏まえた人ほど、このように考えがちである。
自らの権力性
しかし、現実に起きていることは、妻には何をしてもいい、女のくせに男に口答えをすることは許されない、女は男より劣っているのに生意気な態度をとるのだから殴られても当然、という家族の中で明からさまになる男女不平等、女性差別、女性蔑視に基づいた暴力だ。子どもが大人より弱いことは自明だが、さまざまな不平等によって、女性が弱者化されていることは、DVの事例をみれば明らかである。しかし、自らの権力性に男性が気づいているわけではない。
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