中には最初からその塀が低い人、もろい人もいると聞く。世代的には中高年、若い頃、高倉健の任侠映画を見て育ったような世代。稼業にちょっとした憧れを持ち、山っ気はあったが普通の仕事に就いたという人たちだ。このタイプは知り合う全体の1割にも満たないというが、「頑張れよ。今の半グレみたいな奴らではなく、任侠映画みたいに生きてくれ」と応援してくれるらしい。だが「任侠映画のように生きるのは今の時代、簡単なことではない」とぼやく。
金がなくても見栄を張らねば負けてしまう
「男だし、こういう稼業に入ってからはずっと表の顔を作り、背伸びをしている。稼業は見栄を張り、肩肘を張り、背伸びをしながら生きていくもの。見透かされないように生きるのが一つのテーマになる。組や親分の名前を笠に着てとか、金もないのにと見透かされるとそこで負ける」(同前)
着ているスーツはステッチが凝っているブランドスーツ、合わせたシャツもオーダーだろう。襟には宝石がついたピンが留められ、腕にはダイヤをちりばめた高級時計、指にもダイヤの指輪、セカンドバッグもブランド品、靴も一目で高級品とわかるオーダーメイド。乗っている車は1000万円は下らないスポーツカー。一目でその筋の人だろうと想像がつく。
「これを維持するのはきつい。ずっと背伸びをし続けていくのはやっぱり疲れる。1枚5万円のブランドTシャツをもらうのは嬉しいが、着脱していて、縫いつけられたビーズの1個でも落ちようものなら『勘弁してくれよ』と、床に頭を近付けて探すことになる。自分で買ったら尚更、小さなビーズを必死に探す。着たまま寝転がれ、気軽にじゃぶじゃぶ洗濯できる1000円のTシャツを5枚もらうほうが嬉しい」(同前)
見栄を張っていただけかと見透かされないことが、稼業には必須だ。
「生活が逼迫して、高級時計を売らなければならなくなって、それと同じ時計のコピーはないかと慌てて探すようなヤツもいる。時計なら海外でコピーを買えばすむが、車となるとそうもいかない。少しでも綻びが見えてしまうと見栄だとバレる」(同前)
以前、受け取ってきたというエルメス風のバックルがついたベルトを、「エルメスではなくエルメス風。バカはエルメルと言うからパクられるんだ」と何本か見せてくれたことがある。値段は確か1万数千円。本物よりもやや革は硬いが、バックルの細工はきれいだった。輸入したのかと尋ねると「腕のいい職人がいる。革製品ならなんでも作れる」。
貴金属製品のデザイナーと名乗る人物が、インタビュー中に品物を渡しにきたこともある。「あの品はないかと聞かれれば、手に入らないものはないと言うのがヤクザだ」と口元で笑い、「コピーだろうと気にしないが自分は本物志向。偽物を身につけるやつほど、それが気になりその手の嘘に騙される」。
「いい物を身につけていると人は勝手に勘違いする。そういう印象さえ作れば楽だが、反面、辛い時もある。金がないと言ってもないわけないと一笑される」(同前)
彼は「時短営業でどこの店も赤字続き。毎日がシンクロナイズドスイミングと同じ。上に出ている顔は笑顔でも水の中では手足がバタバタ」と手で水をかくフリをして笑い声を上げた。暴対法や暴排条例により年々シノギが難しくなっている暴力団業界は、コロナ禍の1年でその厳しさがさらに増したようだ。