来年、発売60周年を迎える「チロルチョコ」。フレーバーの数は400種類以上というだけに、そのなかには予想外のヒットで定番となったものからおおいに物議を醸したものまである。
チロルチョコ株式会社の松尾裕二氏に、同社ならではのユニークなフレーバーや意外と知られていない初期チロルチョコのシルエットなどについて話を聞いた。また、レアなチロルチョコを写真付きで紹介する。(前後編の前編/後編を読む)
九州のチロルチョコと言えば「三ツ山」
ーー発売当初のチロルチョコは、価格が10円で3つ繋がっていたそうですね。
松尾 そうです。うちでは〈三つ山〉と呼んでいます。弊社が菓子製造を始めたのが1903年。福岡県田川市の炭鉱町で、甘いものを欲しがっていた肉体労働者向けに饅頭や砂糖菓子を売り出したのがスタートだそうです。
1919年に松尾製菓株式会社を設立し、戦後になってアメリカからチョコレートとアイスの文化が入ってくると、私の祖父である2代目が一気に設備を変えてチョコの製造と販売に乗り出した。そして1962年に、田川にある山をイメージした三つ山のチロルチョコレートを発売したのが始まりですね。
商品名に関しては祖父がオーストリアのチロル地方を訪れた際に、その風景が非常に印象深かったそうで名前に用いたと聞いています。
ーー〈三つ山〉チロルチョコが現在の形になったのは、1973年に起きたオイルショックが原因だと聞いています。
松尾 オイルショックによる原材料の高騰で価格を20円、30円と上げざるをえなくなり、売り上げもみるみる下がっていった。それでも高級品だったチョコレートを子供に届けたいと祖父は、1979年に三ツ山を3分の1にして10円で売り出したんです。それが、みなさんご存知の台形のチロルチョコの始まりですね。
ーー〈三つ山〉チロルチョコは現在も発売されていますが、あまり店頭では見掛けないですね。
松尾 売り上げの9割近くが九州に集中しています。50代以降で九州や中国・四国地方に住んでいる方が、子供の頃に食べていた〈三ツ山〉をチロルチョコとして認識されているからでしょうね。
逆に関東より東だと台形が当たり前。これは駄菓子屋からコンビニエンスストアに販路を広げ、東京をはじめ全国に販売エリアを拡大させる頃には、すでに台形だったからだと思います。私も関東では〈三つ山〉をお店で見ることはあまりなくて、たまに見つけると「おっ、入ってる!」とちょっとうれしくなりますね。