笑い話みたいなことは、表に出てこないだけで...
さて、このPCR。パワフルであるがゆえにしばしばありえないような問題が起きた。ある研究者が、化石の骨の中から恐竜のDNAを増幅した、と大発表した。ジュラシック・パークがほんとうに再現されたとニュースが飛びついたが、他の研究者が再検討してみると、増幅されたのは化石に混入していた現代の微生物のDNAだった。さすがに数千万年も前のDNAは残っていない。
笑い話みたいなことは、表に出てこないだけで研究の現場ではもっといっぱい起こっていた。マウスの細胞の遺伝子を研究していた科学者が、PCRで増幅したDNAを調べてみると人間の遺伝子そっくりだった。ヒトの遺伝子がマウスに水平移動していた!? 否。彼が手袋をしていなかったせいで、自分の垢を解析してしまったのだ。
こんな事例もあった。ウイルス検査をしてみると、検体すべてから陽性反応が出た。すわ、パンデミック勃発か!? 否。研究者たちは微量のDNA溶液や酵素液を採取したり混合したりするのに、ピペットマンという用具を使う。手のひらサイズの持ち手に、ドリルみたいな尖った先端がついた溶液計量器で、ほんの数マイクロリットルを正確に量り取って、こっちの試験管からあっちの試験管に移せる。先にはチップと呼ばれる使い捨ての脱着可能な部分があり、溶液はここにしか触れない。
ところがあらゆるものには陥穽(かんせい)がある。液の出し入れは、持ち手の部分にあるピストンの上下運動でコントロールされる。でも、このピストン運動、慎重にやらないと、ごく微量の飛沫がピペットマンの筒の部分の奥の方まで吸い込まれてしまう。これが他のサンプルに混入するとたちまち偽陽性になってしまうのだ。
最近はPCRも自動化され、チップにもフィルターがついて、サンプル相互の汚染を防いでいるはずだが、ブラックボックスが大きくなればなるほど落とし穴も多くなる。逆に、ちょっとしたミスで偽陰性も起こりうる。最先端技術に過信は禁物なのだ。