“イソ弁”としてキャリアを始動
亀石は、事務所に雇われる「居候弁護士」──通称「イソ弁」である。イソ弁は、事務所
に来る事件、所長に来る事件、先輩に来る事件を手伝いながら仕事を覚えていく。
最初は、戦場に赴く兵士のような気持ちで事務所に通った。男も女も関係ない。先輩に「接見行ける?」と聞かれれば、どんなに遠い警察署でも引き受けた。おかげで大量の事件を経験し、少しずつ刑事弁護人としての「勘」のようなものが培われた。
残虐な事件を起こしたと疑われている被疑者と会っても、いつしか驚きも、恐れることもなくなった。被疑者や被告人に偏見を持つと真実が見えてこない。どんなに極悪非道と思える事件でも、累々と積み上げられた前科があっても、ひとまずそれは脇に置いてフラットな気持ちで話を聞く必要がある。彼ら、被疑者や被告人は、最初から弁護人を自分の味方だと思っているわけではない。まずは仲間だと思ってもらえなければ、何も始まらない。偏見や先入観を排し、被疑者や被告人と同じ目線に立つ。刑事弁護人として必要不可欠な資質だと亀石は考えている。
弁護士は被害者・遺族の敵なのか
「刑事弁護人は、なぜ犯罪者を守るのか」
「どうして刑事弁護人は、悪いことをしたヤツらの弁護ができるのか」
「被害者や遺族の心情を、刑事弁護人は少しでも考えたことがあるのか」
「刑事弁護人は犯罪者の味方。だから、被害者や遺族は弁護人の敵だ」
「刑事弁護人は犯罪者の刑期を短縮することで、再犯罪が起こるのを助長している」
被疑者・被告人の弁護活動を行う刑事弁護人に対して、しばしばこのような疑義・批判の視線が向けられることがある。亀石もまた、こうした問いかけを何度も受けてきた。
被害者や遺族の側からすれば、そのように思われるのは無理のないことだし、理解できる。ただ、「刑事弁護人」という仕事の本質が、あまりにも社会から理解されていないようにも感じている。
彼女の考え方にもっとも近いのは次の言葉だ。
罪を犯したと疑われている人の権利を守ることは、自分を守ることでもある。
自分が弁護をしている被疑者・被告人は、もしかしたら自分だったかもしれないという感覚がある。