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「被告人を死刑に!」

 しかも、法廷に設置された新しい装置を使って視覚効果を狙った検察の目的は、裁判員への「わかりやすい」裁判の演出にある。

 この裁判に臨んだ3人の裁判官のうちの左陪席の若い女性裁判官は、大型画面に肉片写真が映し出されても、頬杖をついて、生欠伸を繰り返す余裕を見せていた。裁判官ともなれば、解剖実習にも立ち会って、訓練されている。そんなものにいちいち動じていては、仕事にもならない。

 それだけに、この裁判の異様さが際立つ。

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 裁判員という裁判に不馴れなずぶの素人を巻き込んだところで、検察官の劇場型の立証、演出にかかれば、思い通りの量刑を科すことも容易い。

©iStock.com

 事件の残忍さを強調され、最後には証言台に座った母親の涙ながらの証言に合わせて、若くして落命した被害者の幼少から成人に達するまでの思い出写真を、まるで結婚披露宴のスライドショーのように見せつけられては、被告人への嫌悪が増す一方だ。検察の主張に感情ばかりが煽られ、証拠の吟味を怠れば冤罪だって招きかねない。

 とはいえ、今回のケースのように、死体の損壊が証拠によって証明されようという場合は、バラバラになった肉片写真も裁判員が目を通さなければならない。目を背けたまま、判断を下そうなどとは、これまた裁判の本質を欠く。

 そこへきて、検察官の求刑は「死刑」だった。犯行態様がいくら残忍とはいえ、強盗や放火も付かないで、殺害人数が1人での死刑求刑は異例も異例だった。

 しかも、求刑にあたっては、担当の検察官がわざわざ被告人の斜後方に譜面台をおいて論告を読み上げ、そして最後に、舞台役者のように声を張り上げて、

「被告人を死刑に!   ……被告人を死刑に処するが、相当と思慮されます!」

 わざわざ溜を作って「死刑」を二度も強調する演出ぶりだった。

 異様な裁判だった。

 ところが、こんな裁判を認める訴訟指揮をとってきた裁判長からして異常だった。

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青沼 陽一郎

文藝春秋

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