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包茎に対する「土着の恥ずかしさ」

 第二に、皮被りは包茎と外見がよく似ており、両方とも「皮被り」と呼ばれるからである。それが皮被りの恥ずかしさを支えているという(*4)

*4 足立、1899、428、432頁。なお、足立が「誤認」と呼んだのに類似する認識が男たちのあいだにあることは、ほぼ同時代に医師の田代義徳も指摘している。20歳に達した男子は生理的に亀頭が全露出するものであり、包皮におおわれているのは異常であると認識している者がいると述べている(田代、1896、2頁)。

 では、なぜ包茎であると恥ずかしいのか……という玉ねぎの皮むきのような問いが延々とつづくことになるわけだが、そこは明らかになっていない。「包茎は恥ずかしいから恥ずかしい」以上のことは説明されていない。恥の感覚の存在は指摘するが、その内実が不明なのは他の医師の説明も同じで(*5)、皆までいわなくても、なんとなく了解されるものだったのだろう。包茎はとにかく恥ずかしく、それに似た皮被りもまた恥ずかしい。市井の男たちによってなんとなく了解され、受け継がれてきたこの恥の感覚を、本書は「土着の恥ずかしさ」と名づけたい。

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*5 宮内、1941、10頁。露茎が優越感を持つ風潮があるとするのは藤巻、1942、272頁

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包茎手術に失敗して自殺した14歳の少年

 包茎にたいする恥の感覚や嫌悪は、それ以降も消えることはなかった。1923年の新聞には、包茎手術の失敗を苦にして自殺した14歳の記事が掲載されている。他殺の疑いでも捜査がなされたが、包茎を悲観して手術をしたものの治らなかったので、吾嬬町(あづままち)の川に身を投げたと警察では判断された。死人に口なしで真相はわからずじまいだが、死因について上記のような解釈が成り立つくらいには、包茎にたいする嫌悪というものは了解可能なものだった。

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 1933年の医学エッセイは、包皮が亀頭の一部をおおっている状態を嫌う風潮が東京にあると指摘している。とくに下町方面の商店や工場で働く者に顕著だという。ここでは、小学生のうち、どれくらいが亀頭を露出しているかを調べた統計が引用されている。本郷の児童には少なく、本所と深川の児童に多かったこと、勤め人の子どもに少なく、労働者の子どもに多かったことが明らかになっている。本郷といえば文教地区であり、本所と深川といえば下町である。下町の労働者階級には、子どもですら包茎を嫌う風潮があったことになる。ちなみに投身自殺した少年も、葛西(かさい)の労働者階級だった(*6)

*6 1923年の自死報道は『読売新聞』朝刊、1923年7月14日、9面。1933年の医学エッセイは、内田、1933、37頁。このエッセイで引用されている「渡邊技師」の報告は渡邊、1930