医学上、病気ではなく、手術も不要にもかかわらず、仮性包茎を「恥」だと思う男性は少なくない。こうした「恥」の感覚は、いったいどこからやってきたのだろうか? 社会学者の澁谷知美氏は著書『日本の包茎 男の体の200年史』(筑摩書房)で、以下の仮説を取り上げ、その歴史を検証している。

仮説(1)仮性包茎にたいする恥の感覚は、美容整形医によって集客のために捏造された。

仮説(2)仮性包茎という概念は、美容整形医によって集客のために捏造された。

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 ここでは同書の一部を引用。包茎における「恥」文化がいかに醸成されていったのかを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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包皮をたくし上げる男たち

 まずは、仮説(1)「仮性包茎にたいする恥の感覚は、美容整形医によって集客のために捏造された」について検討しよう。結論からいうと、この仮説は否定された。日本の男たちは、美容整形医がうんぬんするはるか以前から、仮性包茎に相当する状態を恥だと思っていた。

 このあたりの事情を明らかにするために、まずは、とある身体検査の話からはじめたい。

 日本が第二次世界大戦で負けるまで、男なら一生に一回は受けさせられた身体検査がある。医師の前で全裸になり、ペニスや睾丸の状態を調べられる検査である。包皮を剝いて、包茎であるかどうか、性病でないかどうかも確認される。これをM検といった。Mara( 魔羅[まら]。ペニスの意)の検査だからM検である。徴兵検査や軍隊入営後の定期検査をはじめ、入学試験や就職試験でもおこなわれた。

1941年の徴兵検査の様子(内閣情報局『写真週報』1941年1月22日号、6頁)

 このM検があったおかげで、戦前期の日本人男性のペニスにまつわるデータが豊富にある(*1)。そのうち、もっとも古いものを掲載したのが、解剖学の権威・足立文太郎博士が1899年に発表した論文である。広島の歩兵485人を対象に長澤康人軍医がとったデータをもとに、日本人の包茎について論じている。

*1 日本のM検の歴史は澁谷、2013、第4章参照。M検にかぎらない、人体計測の技術そのものが植民地主義や優生思想に由来することはグールド、1989参照。また、足立もその一角を占める人類学が植民地政策に手を貸しながら発展していったことは、ガフ、1969、中生、2016、25~26頁参照

偽の統計

 このうち、現在の用語でいうところの真性包茎に相当する「包茎」は約0.8%(4人)いた。一方、ふだんは亀頭に皮がかぶっているが、手を使えば亀頭を出すことができる人のうち包茎をのぞく人――仮性包茎に相当する状態と考えられる――は約28%(137人)いた。もっとも多かったのは、ふだんから亀頭が全露出している人で、約71%(344人)だった。

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 足立はこの数値を「真の統計」とは見なさなかった。皮被りの数はもっと多いはず、と足立は考えた。皮被りとは現代でいう仮性包茎と真性包茎に相当する状態の総称である。足立が回想するのは、かつて亀頭を全露出している人に自分がたずねた時のことだった。彼らの多くは、もともと包皮が亀頭をおおう皮被りであったが、包皮をたくし上げて亀頭冠にひっかけ、あたかも皮被りでないかのように見せていたのだった。