細工によって少なく見える包茎の割合
広島歩兵の場合も同じだった。全露出者344人のうち317人には亀頭をおおえるほどの包皮がある。彼らにたいして長澤にたずねてもらったところ、10人中7、8人が同様のことを答えた。つまり、皮被りはもっと多い。全体の約28%どころか、およそ70から80%が皮被りだった。皮被りはもっと多いはず、という足立のカンは当たっていた。
日本人には皮被りが少ないといわれるが、それは見せかけにすぎないという足立の議論は、ひじょうに画期的なものだった。足立論文の発表以前、東洋人と西洋人とで解剖学的な違いはないはずなのに、日本人の包皮が短いのはなぜか、という問いを立てた医師がいた。彼が出した答えは、西洋人にくらべて日本人の入浴頻度が高いから、というものだった。入浴のたびに包皮口を洗うので、包皮が後退したのだという(*2)。だが、実証的なデータが示されているわけでもなく、とうてい信用できる説ではない。
*2 田代、1896、13~14頁。なお、この説と同じくらい荒唐無稽な主張として、日本人ももともと包皮が長かったが、母親がカヤの葉で子どもの包皮を切る習俗(第3節参照)が長くつづいたことにより、「遺伝的」に包皮が短くなったというものがある(衛生新報編集局編、1906、81頁、鴨田、1908、125頁)。さほど広まらなかった議論であり、列挙した文献以外では目にしたことがない。
足立流にこの問いに答えるならば、日本人の包皮が短いのではなく、細工によって短く見せているだけ、ということになる。こちらのほうが説得力がある。以後、足立論文は後続する包茎研究でたびたび参照されるようになる。
皮被りの者がこっそり皮をたくし上げる行為を、足立は「秘密療法」と呼んだ。足立の問いは、なぜ彼らがこうした秘密療法をおこなうのか、におよぶ。足立が導き出した答えは、「皮被りを恥と思っているから」だった(*3)。
*3 亀頭を清潔に保つため、軍が兵士にたくし上げを指導していたとの指摘がある(巨勢、2010、37頁)。今回の調査ではそれを裏付ける一次資料は見当たらなかった。
では、彼らが皮被りを恥じる理由は何だろうか。足立が挙げる理由の第一は、皮被りは一般的な状態ではないと人びとが「誤認」しているから、というものである。皮被りは包茎(現代でいう真性包茎に相当するもの)に似ている。包茎と同一視されるのをおそれて、皮被りの人びとは包皮をたくし上げて亀頭を露出する。その結果、あたかもすべての人が露茎であるかのような事態が出現する。そして、「大人の陰茎はふつう、亀頭が全部露出しているものだ」という誤認が生まれる。本当はそうではないにもかかわらず。