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露茎者の優越感

 1935年の新聞の健康相談欄では、入営を前にした青年が、包茎は「恥づべき病気」かどうかをたずねている。回答は「恥づべき病気」ではないというものだが(*7)、包茎の者が恥をおぼえなければならない風潮があったことをうかがわせる質疑である。

*7 『読売新聞』朝刊、1935年11月15日、9面

 包茎者の恥ずかしさが取りざたされる一方で、露茎者の優越感への言及もある。ある軍医は、人びとが皮被りに「羞恥」をおぼえているとまでは思わないと前置きしたうえで、亀頭の完全露出に「優越感」を抱くような風習があるのをしばしば耳にすると、1942年に証言している(*8)

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*8 藤巻、1942、272頁

恥と暴力

 恥の感覚を利用した包茎者への暴力もあった。「来年度徴兵検査を受けるものですが、未だにかはかむりで困つてゐます。どうしたら癒(なお)るでせうか。このまゝ検査を受けてもいゝものでせうか」という相談が1939年の『読売新聞』健康相談欄に寄せられている。皮被りの人が徴兵検査を受けたからといってなんらさしつかえない、というのが回答だが(*9)、しかし、それは包茎の者が検査で凌辱を受けずにすむことをかならずしも意味しなかった。

*9 『読売新聞』朝刊、1939年12月23日、5面

 たとえば、作家の外村繁は、自身の体験をもとにしたとされる作品のなかで、次のような徴兵検査の予備検査のシーンを描いている。1920年代はじめごろのことと考えられる。第一声は検査医の言葉である。

「ひどい包茎だね」

 私はズボン下を引き上げ、診察台の上に起き上つて、聞き返す。

「ええ?」

「つまり皮かむりやね。ちよいとした手術ですむが、まあ、嫁はんでももろたら直るやろ」

 看護婦が笑ひを殺して、顔を背ける。医者や看護婦の態度を、私は非礼だと思ふ。しかし私は彼等の前に自分の性器を曝したばかりでない。自分の性器の異常まで知られてしまつたのである。むしろ私は強い屈辱感を抱いて、この医院を去るより他はなかつた(*10)

*10 外村、1960→1962、266頁

 包茎であることを看護婦の目前で医師から告げられたのみならず笑われて、主人公は「強い屈辱感」を感じることになった。医師は意図していないかもしれないが、包茎検査を介しての凌辱がおこなわれたことになる。

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 小学校の校舎を借りて実施された国民徴用令にもとづく身体検査では、意地悪な検査官が、検査の順番を待つ若者の股間をいじり、「お前、包茎か」とバカにすることもあった。その様子を窓にかじりついて子どもたちが見ていたという(*11)

*11 笹岡、1976、86頁。この子どもたちは非公式に検査の様子を見ていたわけだが、公式に婦人会の女性たちを臨席させて、徴兵検査の様子を見せることもあった(服部、1964、42頁)。「検査場には国防婦人会の人がずらっーと一列に並んで検査を見ていた。素っ裸にされて、前も尻の穴も全部調べられてさ、あの時は今度生まれるならば女に生まれたいと思った」という証言もある(岡崎市郷土館編、2003、6頁)。ある私小説に「うちの祖母(ばあ)さんが言ってたけど、徴兵検査のときピンとなっちゃったのがいて、そのまま歩調とって検査官の前へ行ったら、男らしいってほめられたって」という台詞があるが、祖母さんは婦人会メンバーの一人として臨席した可能性がある(裸夢坊、1969、213頁)。