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 私にとって財務省の同期は、ジャングルに迷い込んでも背中を預けられる「戦友」だった。仕事で失敗して上司に厳しく叱られ、トイレでひとしきり泣いてから席に戻ると、デスクには必ずお菓子の差し入れが置かれていた。

 国会議員への質問取りがうまくできずに「なにを問うているのか分からない。議員にもう一回聞き直してこい。できるまで財務省に帰ってくるな」と総務課の係長に電話で怒鳴られたときも「ああいって係長はひそかに答弁を用意してくれてるから、議員会館から帰っといでよ」と、同期がメールでフォローしてくれた。

 正直に告白すれば、私自身、家族型の職場へのノスタルジーを捨てがたい旧世代の一員である。

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財務省 ©時事通信社

「残業代、さほど気にしてなかった」

 今もなお、残業代改革についての所見を尋ねると、国会作業で深夜2時帰宅が続いた同期たちは、それでもベッドに倒れ込む直前に律儀に長文のLINEを返してくる。「残業代、前の月より多くなったのかな。さほど気にしてなかった」というのが、彼らの実感のようだ。

「入省前から大手企業に比べて給料が高くないことは分かっていた。サービス残業は確かになくさなければならない。でも、真の不満はむしろ、政策形成に貢献できることに魅力を感じて入省したのに、現実には国会対応に多くの時間を割かざるを得ないところにある」

 私の問いが同期の睡眠時間をさらに削ってしまったことを痛く反省しつつも、「国家的な危機に傍観者でいたくない」と語っていた彼らの横顔が鮮明に浮かんできて、思わず私は目を細める。おそらく、今宵の霞が関で働く多くも、入省時の熱量を心のどこかで燃やし続けている。この炎さえ消えなければ、長時間労働を評価する家族型のシステムへの郷愁を振り切って、霞が関は前に進んでいけるはずだ。

 組織のメンバーを家族の一員とする温かさを残しながら、同時に彼らが個人として自律的に働く余地を作る。霞が関の本質を変えつつ、変わるべきでないものだけを選り抜いていくことこそが、「働き方改革」であるべきだろう。そして、そこに家族型組織から脱却して個人の時代へと歩を進めていく我々の社会全体の見取り図が描かれるべきだと、私は思う。