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 私が新人として勤めていたころから、終電を逃した職員用に財務省は宿舎に向かうバスを走らせていた。財務省の横に深夜にずらっと並ぶタクシーの車列。その中には長距離を帰ってくれる上得意に酒と肴を提供するものもあり、それが「居酒屋タクシー」として問題になったこともある。職員をタクシーで帰すわけにはいかない。だが、仕事は終わらない。職員を乗せて財務省から宿舎へと向かうバスは苦肉の策でもあった。

写真はイメージです ©iStock.com

 確か1バスは12時30分、2バスは1時45分だったと記憶している。租税政策を扱う主税局で働く私は、2バスで帰らなければならないことは稀だった。「あぁ、今日は2バスだ。何時間眠れるんだろう」と嘆息しながら、暖房の効いたバスで仮眠しようと思った私は、ハイテンションの同期の声に起こされる。

「やったぁ、今日は2バスで帰れる!!」

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 予算を扱う主計局は最も花形とされる。そこで働く彼は、予算折衝の時期には財務省に泊まり込む日も多い。宿舎に帰れる日には気分が弾むらしい。私にとっては遅い帰宅が、彼にとっては早い帰宅。

 だが、それをあえて口にする彼の顔にそこはかとない優越感が浮かばなかったか。もしかしたら、それは私自身の劣等感が見せた幻か。

300時間の残業を「3割打者」と誇る文化

 財務省には「3割打者」という言葉があった。

 私が入省するよりも前の話だが、月の残業時間が300時間を超えることを「3割を打つ」と言ったそうだ。それは非人道的な職場環境の告発というよりはむしろ、それだけの仕事を依頼されるという本人の自負と、それをやり遂げることへの周囲の称賛が込められていたように思う。もちろん、残業378時間を異常と憤る今の霞が関は、かつてとは大きく雰囲気を変えているようだ。だが、「ブラック」であることを自ら誇る文化が一切なかったとはいいきれまい。

写真はイメージです ©iStock.com

 そして、長時間労働を評価するのは家族型組織の必然でもある。「大蔵一家」と呼ばれた財務省は、配属された新人に組織の流儀を教え込んで一人前に育て上げていく。若いうちに目をかけた部下を、その後も何かにつけて有力な上司が引き上げていくという家族型の構造は、財務省の人事をデータ分析した一橋大学大学院の論文により、ある程度、明らかになってしまっている。

 こういう組織では、上司、ひいては組織に対するロイヤリティが評価の対象となる。そして、残業時間は忠誠心を測る端的な指標と見ることもできるのだ。誰もに公平に与えられる1日24時間のうちのどれだけを組織のために割くかというこの配分は、まさに「一家」に対するコミットメントの強さを表す。