「汚くて、芝居もくさい」が生んだ“ハミチン事件”
このイメージはプロデューサー、ディレクター、脚本家にも共有され、「汚くて、芝居もくさい」竹中秀吉が実現した。しかし、このおかげで思わぬアクシデントも生じた。いまなお語り草となっている“ハミチン事件”だ。
これは、蜂須賀小六を演じる大仁田厚に抱え上げられたとき、竹中のふんどしからイチモツがはみ出したというもの。撮影前に衣装スタッフがふんどしをきれいに締めてくれたにもかかわらず、竹中が「秀吉はふんどしをこんなにきちんと締めないだろう」と緩めたがためのアクシデントだった。さっそくスタッフとモニターでチェックすると、たしかにアレが映っていた。「でも、夜のシーンだからな」「そんなとこまで誰も見ていないだろう」ということでOKとなる(※1、※3)。
だが、放送後に視聴者からの指摘で発覚し、ニュースにもなってしまう。画面がハイビジョンに切り替わった現在なら、きっと撮り直しになっていただろう。もちろん当時でも、スタッフが竹中の意志を汲んでくれていなければ、NGが出ていたに違いない。
『秀吉』とともに転機となった作品は…
竹中が新たな秀吉像を演じてみせた『秀吉』は評判を取り、高視聴率を記録する。同じく1996年には出演した映画『Shall we ダンス?』も大ヒットした。世間一般にも広く知られるきっかけとなったこの2作は、彼にとって大きな転機となる。
『Shall we ダンス?』の周防正行監督とは、『サラリーマン教室 係長は楽しいな』(1986年)という複数の若手監督によるテレビドラマ企画の1本で初めて出会った。当初、周防はプロデューサーから出演者として竹中を薦められ、「あの人は監督の言うことを聞かない人でしょ?」と反対したという。結局、プロデューサーに熱心に説得されて渋々キャスティングしたが、現場に入ってすぐ誤解が解けた。その後、竹中は『ファンシイダンス』(1989年)、『シコふんじゃった。』(1992年)と周防の映画にあいついで出演し、常連となる。