「竹中直人にやりすぎはない」
竹中のほうでも周防が喜ぶような動きを即興的にやっては笑いをとるようになった。だが、あるとき、ちょっと不安になって「やりすぎじゃないですか?」と訊いたことがあった。これに対し監督からは「竹中直人にやりすぎはない」との言葉が返ってきたという(※1)。《演じるというのはぼくにとってはすごく恥ずかしいことなんです。本当は演じたりせず、ふざけているのが大好きでね》と話す竹中にとって(※4)、周防のような監督はありがたい存在であった。
周防監督とのやりとりからもうかがえるように、竹中は現場でアドリブを交えながら役をつくっていくタイプだ。そもそも「役づくり」という言葉自体を嫌い、「役者はただ現場に行けばいい」との信条を持つ。彼に言わせると《脚本には書かれていないもの、現場で役者と役者が向き合った時に生まれる空気、それが大切》であり、《いきなり他人同士が夫婦を演じたり、親友でもないのに、親友の役を演じたりする。そのあり得ないことを現実的にするのは現場で生まれる即興性であり、監督の力だと思います》というのだ(※1)。
学生の自主映画にノーギャラで参加したことも
この姿勢は、映画監督の立場になっても変わらない。オファーに対しても、《基本的には撮れるなら何でも撮りたいという思いはあります。「台本を読んでから決める」なんて役者においても僕はあり得ない。声をかけられれば何でもやりたい》という(※5)。台本を読んでから決めるなんて何を偉そうに、と思ってしまうらしい。そのため、学生が撮る自主映画に出演依頼され、ノーギャラで出たこともあった(※6)。
キャリアを重ねれば否応なしにベテラン扱いされるが、竹中はこれにも抗う。8年前のインタビューでは《僕はベテランになったらおしまいだと思っているし、良い役者とか、味のある俳優になりたいなんて意識もない。極端に言えば、いつになってもバカができる役者でいたい》と話していた(※7)。安住してしまうことに何より不安を覚えるのは、『秀吉』のオファーを受けたときから変わりがない。