お父さんみたいな人とは結婚しないですんだワケ
内田 人間って、親がやっていて嫌だと思ったということは採用されないんでしょうか。そういうこと、ありませんか?
中野 あります、あります。これはどちらかというと心理学ですけれども、やっちゃいけないと思うことってありますよね。意思の力で「これはやらないようにしよう」と思っていることがありますよね。例えば、ダイエットしたいという気持ち。そうすると、食べちゃいけないと思いますよね。だけど、食欲はあって、それがおいしいものだということを知っている。このときに、どっちが勝つかというと、意思の力は必ず負けるんです。いつか必ず負ける。一時的に勝ったとしても、いつか必ず負ける。
例えば、お父さんを見て、「自分はこういう人とは結婚しないようにしよう」と思っていると、そういう人と結婚しちゃったりするということがあるんです。違うと思ったのにそうだった、とか。也哉子さんはそこは乗り越えられていると思うんですけど(笑)。
内田 今、ふと考えたんですけど、私はあまり父を拒否もしてなかったのかもしれませんね。そもそも父と暮らしたことも一度もない。生涯で会った時間の合計は算出できるぐらい。たぶん数十時間だと思うんですよね。だから、父があまりにもミステリー過ぎて、漠然とは父みたいな人は嫌だとは思っていたけれども。絶対こういう人とは結婚しないようにしようと思うほど父のことを知っていたわけではないので、だからこそ父とは真逆の人と結婚することができたのかな。でも結局、父が紹介してくれた人だったんですけどね。
中野 そうなんですね。不思議な巡りあわせですね。
「ご縁」は存在する?
内田 「ご縁」という日本独特の表現がありますが、中野さんはそういうスピリチュアルなことは信じますか?
中野 確かに東洋思想的ですよね。私はどちらかというと科学の子なのですが、科学をベースにして生きている人には二通りあるんですよ。一つは「そんなスピリチュアルなことなんかあるわけないじゃん」というふうに完全に否定をする人──私に言わせれば科学のアマチュアだと思います──と、もう一つは「科学でわからないことは、まだわかっていないだけであって、あるともないともいえないですよね」という人がいます。論理的には後者が正しい。私は後者の考え方をしたいと思っています。
ご縁というものはあるかもしれないし、ないかもしれない。まだ明らかでないと思います。でも、みんながそういうふうに言うということは、本当にあるのか、ないしは、人間というのはそういうものを実在するかのようにとらえる性質があるのか、どちらかだと思います。でも、実在するかのようにとらえるということは、つまり、世の中というのは物理的にできてはいるけれども、その上に人間の認知が乗っかっているので、みんながそういうふうに思っていれば、ほぼ存在するのと同じことだといってよいでしょう。人気とか景気とか、いわゆる「気」が付くものはだいたいそんな性質があります。みんなが存在すると思っているから存在する。