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叔父は京都大学の教授、父は科学者

――もしずっと日本で育っていたら、小説家になっていたと思いますか。

イシグロ そうは思いませんね。家族の誰も作家になっていませんし、叔父は京都大学の教授で、国際弁護士でした。父親は科学者で、もう一人の叙父は住友のビジネスマンです。私の家族には作家のような仕事をした人は誰もいません。私が作家になったのは、私が日本からの「亡命者」であることに大いにかかわっています。そして、常に、日本人である両親の目を通してイギリスという国を見たので、自分の周りの社会とも距離を置いて育ったことにも関係があります。友人のすべてが正邪として考えていたことを、私はイギリスのネイティブの変わった風習であるとみていたのです、距離を置いて、イギリスをみていたということです。そういうことも作家になる上でプラスに働いたと思います。

――外国に住んでいる日本人の両親は、子供にバイリンガルを維持してほしいがために、日本語の学習を強要しますが、ご両親はそういうことはなかったのですか。

イシグロ 両親は決して強要しませんでしたね。恐らく当時はそれがほとんど不可能だったからだと思います。私の家族がイギリスに来たのは、1960年であることを考慮しなければなりません。我々以外に日本人はいなかったのです。日本人コミュニティがなかったのです。今日本からイギリスに来ると、日本人は日本人学校に入れるので、日本語を勉強することは可能です。でも昔は非常に難しかったのです。母親はある程度日本語を教えてくれましたが、あるとき両親は、それはよくないと決意したのでしょう。もし私が漢字やカタカナを覚えるための教育を受けていたら、歪んだものになっていたと思います。それで両親は日本語を私に押し付けなかったのです。多くの点から考えると、そのことに私は感謝しています。特に日本語の読み書きをやるとなると大変な苦労ですから。

――今日は長いインタビューに応じていただき本当にありがとうございました。

©getty

(聞き手・翻訳=大野和基/2006年5月10日、ロンドン、ヒルトンホテルにて/『文學界』2006年8月号より一部抜粋)