「抽象化」によって価値を見つけることがDXのキモ
課題から考えるというのは、エジプトのピラミッドや東大寺建立のようなかつてのややこしいプロジェクトでも有効な手段である。しかし、ソフトウェアが産業、社会の中心となり、我々がカイシャのロジックから卒業したいときに特に有効な手段だ。
それは「課題から考える」というのは「抽象化」でもあるからだ。ホフは、ビジコンの持参した電子回路という具体から離れて、より抽象的なスペースで物事を捉え直したのである。抽象的なスペースはいくつもの具体を含むので、ややこしい課題に対して解決策を見出しやすい。カレーがないときでも、その欲求を「辛いもの」が食べたいと置き換えられるのなら、担々麺が見つかる、という話だ。
そして、ホフが一部の機能をソフトウェアに移したように、ソフトウェアは「抽象化」に馴染む。ハードウェアと比べれば、頻繁に変更・アップデートできるからだ。ハードウェアは、容易に変更できないために、既に存在する具体から離れることが難しい。それで、具体を大事にし、作り込み、深化する、ということになる。ソフトウェアはしょっちゅう手を加えられるので、ハードウェアと比べれば具体から自由になることができる。むしろ抽象つまりは課題に徹底的にこだわるべきなのだ。そして、抽象、課題を突き詰めたものが企業として実現したい価値であるはずだ。
日本の企業人あるいは行政官が「課題から考える」ことがなかなかできないのは、ここにも一因がある。モノという発想に囲まれて生きてきた結果、あわせて「具体から考える」という癖を身につけてしまい、その発想法から離れられないのだ。これは発想の問題なので、気づかなければ、デジタルの世界でも同じことをしてしまう。自分たちのサービスや製品にどう顧客を惹きつけるかが本来的な課題だ、ということに気づきさえすれば、顧客接点がオンラインかオフラインかに関係なく並列に一つの経験、ジャーニーとして考えることができる。ところがこの同じ話を、「DXなのだからデジタルを使うのが課題だ」と、より具体の側で発想してしまうと、全くおかしなところに行ってしまう、ということだ。