ぺしゃんこになった阿蘇神社に観光客が大勢来ているのを見て……
――そして4話目は大きな出来事が起きますね。前に映画の「アルマゲドン」を書こうと思ったと大真面目におっしゃっていましたが。
万城目 言っていましたね。3話目まで神様の威厳を下げて下げて、4話目で神様がみんなのために一肌脱いで、若干感動系にしてしまう雰囲気を出しつつ、やっぱりそういうわけにはいかない話にしようっていう。
――いや、本当に感動しましたよ。
万城目 それは甘いですよ。
――えー(笑)。
万城目 いや、確かに思ってたより感動系のベクトルが強かったかなとは思うんですけれど。でもこの神様、結局何もしてませんからね。
――そこがいいんじゃないですか。この第4話は災害の話ですね。
万城目 4話目を書き始める前に、たまたま熊本を観光していまして。熊本城とかを観て楽しんだ後東京に帰ってきたら「なんか今熊本で地震あったらしいですよ」と教えてもらったんです。最初全然ピンとこなくて、次の日になったら熊本城がどえらいことになっているのが分かって。その頃にはもう、4話目は人間にはどうしようもない大きなものから神様が体張って守るふりをする、みたいな話にしようと思っていたので、ああ、地震のことを書こうと思いました。エンタメでそういうことをやってええか分からへんから、はっきり地名は書かないでおくことにして。それで、阿蘇神社が倒壊していると聞いて、もう一度熊本へ行ったんです、夏休みに。阿蘇に行くのも大変で、電車は止まっているし、車でも迂回路ばかりで。阿蘇神社の本殿も、完全にぺっしゃんこになっていました。でもそのぺっしゃんこになった神社のために、結構観光客が来ているんです。平日だったんですけれど、駐車場もほぼ一杯で。ああ、愛されているなあとすごく思いました。なんとなく希望があるような雰囲気もあったんです。そこから、4話目の本殿が地震でぺっしゃんこになって、おしゃべりな主人公の神様が沈黙するというストーリーができました。その合間に、何でいるのか分からへんかった神様の相方もちょっと活躍させました(笑)。
――4話目には、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(10年刊/のち角川文庫・角川つばさ文庫)の主人公、かのこちゃんとその家族らしき人たちが登場しますね。
万城目 かのこちゃんのお父さんが『鹿男あをによし』(07年刊/のち幻冬舎文庫)の主人公とも読めなくもないので、神様とコンタクトのある一家ということで出しました。前作のかのこちゃんは小1ですが、第4話の主人公の女の子が小3なので、ちょうどその同級生として小3になったかのこちゃんが出てきたら楽しいなって思ったんです。自分でももういっぺん会ってみたいなっていう。
――そう、成長しているんですよね。それが嬉しかったです。
万城目 かのこちゃんを出したからには、やはり次の世代が生まれるということが大事やと思ったんですよね。いろんなものがいっぺん壊れて、死んだ人もいるだろうけれど、次の世代が生まれるというのはやっぱり希望だと思うので、その部分をかのこちゃんの弟が生まれるところに託しました。それで地震もひとまず小康状態になるという。主人公の神様のおっさんが活躍して危機を完全に取り去るのはやっぱり嘘くさいと思うんですよ。確約できるものではないしまた大きな地震が起きるのは間違いないけれど、おさまってくれたらいいなという希望も含めて書いたところがありますね。
派手なシャツに吊りバンド……神様っぽくない神様たち
――神様の人物造形というか神様造形ですが、これがまた派手なシャツを着て、吊りバンドをつけた、小腹の出た中年男で……という。外見も神様っぽくないですね。
万城目 いつものパターンですが、やっぱりどうしてもカッコいい主人公は書きたくないというか。なんか、自分に懐の深さがないところをさらけ出している気がしなくもないですけれど。でも、たとえば、カッコいい主人公を書くとしても、どこかで人間くささを入れる必要がある。そうなると、家帰ったら嫁さんと夫婦関係がうまくいってなくて、みたいなことしか足を引っ張る要素がないんですよね。海外ドラマとかでも、カッコよくて有能な主人公はだいたい離婚調停中とか、親権で争っているとか、そういう私生活のマイナス部分で帳尻を合わせるパターンはもう見飽きたと思いません? そんなよくある設定を作らなくとも、もともとパッとしなくて、いろいろ困っている人のほうが、動かしやすいし、振れ幅も広く取れる。本能的にそう思っている気がします。
――結局そういう人が、成功するしないにかかわらず、すごいことをしようとする、というのが痛快なんですよね。
万城目 そうそうそう。もともとマイナスポジションの人がデカいことやったほうが効果が倍になる、というのもある気がします。