「何通りも読み方があって、掴んだと思うとするりと逃げていくような話です」
との言葉通り、万城目ワールドとも称される独創的作品群の中でも、ひときわの異彩を放つ最新作だ。
雑居ビル「バベル九朔」の管理人・九朔満大(みつひろ)は、無職の作家志望。ビルの一室でひたすら小説を書いて新人賞落選を繰り返す様は、万城目さんの経歴と重なる。
「彼ほど追いつめられた気分ではなかったけど、作家になれる保証もないのに会社を辞めて親戚の雑居ビルに転がり込んだのは同じです。九朔が目指すのは映画監督とかでも良かったけど、やはり小説だと何百枚と書いて無駄になる虚しさに実感があるんですよね。ビル管理人業務の細部も経験が役立ってます。あの頃はほんまカラスが憎かった(笑)」
だが“自伝的”風景は、謎のカラス女の登場で一変。奇想天外な世界に引き込まれてゆく。居酒屋や探偵事務所が入居する平凡なビルを、天を突く塔の姿をした異界へ変貌させる手際が見事だ。カラス女に追われた九朔は塔の最上階を目指す。
「塔を上る途中のことは全く決めずに連載を進めました。以前なら怖くてそんな書き方はできなかったけど、今回は先を見ずに書いても自然と要素が結び付いたり伏線になったり。作家になって10年経つとこういうことが出来るようになるんやなと思いましたね」
延々と続く階段の合間に現われる、終日営業の流しそうめん屋など珍妙なテナントの数々。こんな潰れそうな店ばかりよく思いつくなと、シリアスな展開でもつい笑ってしまう。異界で出会った無愛想な少女は何者か、そして重層的な異界の“創造主”の目的とは?
「複雑な世界ですが、書かない部分も含めて自分の中ではルールが決まっています。広げた風呂敷は畳みたい派なので、誠実に説明をつけようと考えるんです」
異界を成立させるキーワードは“夢”と“無駄”。
「『レ・ミゼラブル』劇中歌の詞にdreams were wastedとあるのを最近知って、日本語にはない面白い言い回しだと思ったんです。邦題は『夢やぶれて』なんですが、直訳の“浪費する、無駄にする”とはニュアンスが違いますよね。終盤の、ある重要な台詞は、この歌詞の概念ととても似ています。僕は、社会の役にも立たんことに湯水のように時間を使う、九朔みたいな人が好きなんです」
容易には掴みきれないスケールと爽快な読後感。デビュー10周年、新ステージ到来を感じさせる1作だ。
作家志望で無職の〈俺〉は、祖父が建てた雑居ビル「バベル九朔」の管理人をしている。ある日、カラスのような女に「扉は、どこ?」と問い詰められ、訳も分からぬまま異界に飛び込む。そこは、天まで届く塔がそびえ、過去と夢の世界が交錯する世界だった。著者の自伝的要素とファンタジーが大胆に絡み合う長編。