現代のお笑い界は、大きな転換期を迎えている。人の短所を嗤(わら)うような笑いは批判され、“人を傷つけない笑い”が高い評価を得るようになった。本書は、そんなお笑いの今を活写した青春小説だ。
「幼少期からお笑いが好きでしたが、お笑いのことを書く直接のきっかけになったのは、『早稲田文学』増刊号の『「笑い」はどこから来るのか?』という特集の中で、短編を書く機会を頂いたことです。短編執筆後、編集者の方から、また笑いや、笑いが持つ暴力性について書きませんか、と依頼され、長編に挑戦しました」
主人公は高校生の咲太(さくた)。幼なじみで親友の滝場は、2人でいる時は無口なのに、クラスメートをいじりながら、サービスのように笑いを生み出す。咲太はその姿を痛々しく思いつつ、合わせて笑っている。
そんな2人は、転校生のユウキと出会い、文化祭の出し物として漫才をすることになる。滝場と咲太、滝場とユウキという2組で練習を始めるが、なぜか滝場は咲太とのネタ中に涙を流してしまう。涙のワケに触れられない咲太を前に、ユウキは「お前はカラッポだからだろ」と言う。カラッポ、とは何なのか?
「場が求めているものとぴったりはまりすぎてしまう、という意味で、カラッポと表現しました。個人として主体性を持った状態ではなく、求められているものに集中しきっている。作中では男社会と書いていますが、排他的な環境が求めてくる役割だけに従っていると、滝場のような状態になってしまうのかなと思って」
滝場が考えてくる2人のネタの中では、場のノリを考えずに、滝場は個人として言葉を発することができる。しかし、その一方で滝場は学校の中で空気を読み、自分をカラッポにすることで笑いをとってきた。ネタの中で言葉を発することで、滝場の中に何かがあふれてしまう。滝場の涙の背景には、葛藤があった。
そんな滝場に、ユウキは「カラッポでいることが不安だから笑いを生もうとして、笑いを生めば生むほどカラッポになる。でもお前はそのままがいい」と声を掛ける。咲太は、滝場とプロの芸人になりたいわけではない。親友として、面白さは関係なく付き合っている。でもユウキは違う。一緒にプロの芸人になりたいと思っているからこそ、滝場の空虚さを大事にするのだ。ユウキは滝場に空虚でいることを求め、咲太は、コンビ解散を決意する。
それから10年後――。滝場とユウキはプロの若手コンビとして活躍していた。そんなある日、ライブのトークコーナーで、滝場が同期の女性芸人と対立する。トークの流れを批判した彼女に、「場を壊すな」とつっかかったのだ。この事件をきっかけに、3人は再び滝場のカラッポな状態と、笑いの関係について考え込む。なぜこのような場面設定をしたのか。
「コロナでお笑いライブの無観客配信が行われるようになって、芸人さんたちがいままでやっていたノリを過剰に再生産しているように感じたからかもしれません。お客さんの反応がない分、その場がより閉鎖的になってしまい、芸人さんしかいない、より狭い空間が求める笑いを優先しているように見えました。
でも、普通に生きている僕たちにもそういう面はありますよね。笑いを軸にしたコミュニケーション、関係性のグラデーションを表現出来ていたら嬉しいです」
3人が迎えるラストとは、そして辿り着く笑いの形とは――。笑いから、コミュニケーションのあり方を考えさせられる一冊だ。
おおまえあお/1992年、兵庫県生まれ。2016年「彼女をバスタブにいれて燃やす」が「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」公募プロジェクト最優秀作に選出され、小説家デビュー。著書に『回転草』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』など。