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「僕のまわりのひとが困っている姿を撮るのがいいんですよ」

 庵野監督が度々口にする「もっと僕ではなくスタッフを映せ」「僕のまわりのひとが困っている姿を撮るのがいいんですよ」という言葉はこの番組で聞き逃してはならない重要な発言だ。本人の脚本やイメージを元に上がってきたはずのアイデアを「なんか違う」「良くない」と庵野がやんわり否定する。

 TV版で監督を務めた鶴巻和哉や中山勝一、アニメーターの前田真宏など、アニメ界を代表する天才たちがその度に頭を抱えながらも彼の言葉を否定せず再提案する。彼らはどれだけスケジュールがギリギリになっても感情的にならず、慎重に言葉を選び、検討を重ねるが、その振り回されている周囲の人間の戸惑いやバタバタしている様子を積極的に映し出せ、と撮影対象者が自ら指示しているのだ。ドキュメンタリーとしては非常に歪なシーンといえるだろう。

 撮影スタッフを呼び出し「(この密着ドキュメンタリーが)面白い番組になって作品が面白そうに見えてもらわなきゃ困るんですよ」とはっきり言う場面は、冷静に考えれば「本来使ってはいけないカット」だろう。その後も撮影スタッフに「編集も自分でやるんでしょ? 意見だしてよ」と話しかけるなど、取材する側との境界線を決壊させ、共犯関係を結ぼうとする監督の思惑がみてとれた。

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 思えば「エヴァ」シリーズも観客と共犯関係を結び「これは自分の物語だ」と思わせることで成長した作品なのではないか。

 ロボットアニメの体裁をとりながら主人公たちの内面にフォーカスを当てた展開や演出、キリスト教や心理学からの数々の難解な引用、謎解き要素、TV版放送時から雑誌などのメディアを通じて漏れ伝わってきた過酷な製作環境のエピソードでさえ庵野監督の狙いの範疇だったのでは、と思えてくる。TV版最終2話も作画や演出を含め放送前から計画に含まれていたという話もある。

 冷静に考えれば「プロフェッショナル」冒頭の畳に倒れ込む彼に「第九」をエモーショナルに重ねた演出もそこに取り込まれてしまった番組スタッフによる「孤高の監督」演出の一端なのかもしれない。

庵野監督自身を神格化させないバランス

 それでいてこの番組が素晴らしいのはその共犯関係にとどまらず、プライベートなパートナーでもある安野モヨコさんを始め身近な人々のエピソードを紡ぐことで庵野監督自身を神格化させないバランスをとっていることだ。

 天才肌で狂人的だがまるで子供のような、それでいてどこか普通の大人のような、そんな掴みどころのない魅力的な人間として描き出される。しかし番組冒頭でドキュメンタリーに協力した理由のひとつとして「(世の中の人が)謎解きに興味がなくなってる」とも発言していたので、もしかしたらこの感想も彼の手のひらの上で踊らされているだけなのかも、という不安は残る。