なぜか吉祥寺に多く住んでいる人気漫画家たち
江口や大友のほかにも、吉祥寺に仕事場や自宅を持つマンガ家は昔から数多い。過去に住んでいた作家も含め、ざっと挙げるだけでも、水島新司、楳図かずお、美内すずえ、大島弓子、一条ゆかり、いしかわじゅん、久住昌之、泉晴紀、原哲夫、北条司、森田まさのり、井上雄彦、片山まさゆき、江川達也、きうちかずひろ、相原コージ、遊人、西原理恵子、槇村さとる、一條裕子、山崎紗也夏、長尾謙一郎、西島大介など、じつに多彩だ。10年前には弘兼憲史・柴門ふみ夫妻も吉祥寺に終の棲家を建てた。主導したのはもっぱら柴門であったとか(※5)。彼女にとってこの街に住むことは、大学入学のため徳島より上京してから三十数年来の夢だったという(※6)。
吉祥寺にマンガ家がいかに多いか、その証拠として、江口寿史が仕事場を借りたとき、6世帯入る新築マンションが3部屋しか埋まっておらず、その借主が江口を含めてすべてマンガ家だったという話もある(※1)。江川達也も、4部屋あるマンションの1室が空いたので勧められたことがあったが、ほかの部屋に入っていたのがみなマンガ家だったのでやめたとか(※7)。
1つのマンションにマンガ家が集中するのはあながち偶然でもなさそうだ。江川によれば、1人のマンガ家が面倒を見られるアシスタントの数は3~4人で、それに合わせて机を置くにはどうしても広いリビングが必要となるため、物件はおのずと限られてくるらしい。
“若者の街”が新宿から吉祥寺になった時代
吉祥寺のマンガ家のなかでも古参にあたるのが、いしかわじゅんだ。作品にも『フロムK』『吉祥寺キャットウォーク』など吉祥寺を舞台にしたものが少なくない。彼が1994年に書いたコラムには《吉祥寺に、ぼくが引っ越したのは、大学三年の春だった。つまり、もう二十三年も住んでいる》とあるので、住み始めたのは1971年。ちょうど新宿が若者の街として熱気を失い、衰退し始めた時期だった。
《吉祥寺は当時、武蔵野文化人がひっそりと暮らす静かな街だった。そこに、不穏な目をして髪を伸ばした若者が、少しずつ集まり始めた。新宿を見捨てた連中の一部が、新たな拠点として、集結し始めたのだ》といしかわは書く(以上、※8)。国電(現JR)中央線沿線の高円寺や阿佐ヶ谷にフォークやロックのミュージシャンが多く住んでいたのもこのころだ。それもあって同じ沿線の吉祥寺にも若者が流れ始めたのだろう。