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吉祥寺のランドマークでもあるパルコの存在

 京王電鉄の井の頭線で渋谷とも結ばれた吉祥寺は、都会らしさも持ち合わせる。そこには1980年に開店したパルコの影響もありそうだ。吉祥寺パルコにはファッションの専門店のほか、パルコブックセンターの1号店も設けられた。地下には「いづみや」という画材店もあり、マンガ家たちの行きつけとなっていた。おかげで、マンガでよく使われる一番薄いアミのスクリーントーンがいつもなかったり、江口寿史の影響もありカラートーンが流行ると、肌色のドット模様のトーンが品切れになったりしたという(※1、※4)。

吉祥寺のパルコ ©️iStock.com

 パルコブックセンターもいづみやもすでに閉店しているとはいえ、多くのマンガ家が吉祥寺に集まったのは、まず何より、こうした便利な環境があったからだ。江口が《吉祥寺のいいところは、すべてがコンパクトにまとまってるところかな。画材屋から食べ物屋、飲み屋、買い物、ネームを考える喫茶店、音楽を聴くバーまで、すべて事足りるのがありがたい》と話しているように(※2)、商売柄、あまり外に出ないマンガ家たちにとって、たしかにこの街は魅力的なのだろう。

適度に都会で、適度に緑がある街

『キャッツ・アイ』や『シティーハンター』などで知られる北条司は、デビューして福岡から上京後まもなく住み始めた吉祥寺のよさとして「適度な便利さ」とともに「適度な緑」を挙げた(※9)。たしかに吉祥寺には、森と池に囲まれた井の頭公園を中心に武蔵野の面影がいまなお残り、人々の憩いの場となっている。

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 こうした環境は子育てにも適しているのかもしれない。西原理恵子の子供たちも、吉祥寺で小学校から高校までをすごし、地元っ子として育った。西原の子育てマンガ『毎日かあさん』もこの街に引っ越してきてから新聞連載が始まっている。彼女はあるインタビューで、吉祥寺に暮らすことで自らも《高知の田舎のアル中の家で育って、高校を中退して、貧乏な暮らしをして、そういう経歴を全部ロンダリングしたなって思います(笑)》と独特の表現で語っていた(※10)。

西原恵理子「毎日かあさん」

 怪奇マンガの巨匠・楳図かずおが80年代に仕事場を高田馬場から吉祥寺に移したのも、緑があって便利さもあるところが決め手になったという(※11)。2008年には、賓客を迎えるゲストハウスも吉祥寺に建てた。自身のトレードマークである赤と白のボーダー柄を外壁に施したその家は話題を呼ぶ一方で、建設中には近隣住民が「周囲の景観を損ねる」などとして工事差し止めを求める仮処分を東京地裁に申し立てた。結果的にこの訴えは棄却され、続けて住民側が外壁撤去を求めた民事訴訟も楳図の勝訴に終わったものの、こうした騒動もあったせいか、彼はこの家にあまり寄りつかなくなったらしい(※12)。