地方出身者が目立つ吉祥寺のマンガ家のなかにあって、マキヒロチは生家が三鷹で、駅は吉祥寺が最寄だった。その土地勘も生かして、2015年に雑誌連載を始めたのが、親の代から吉祥寺で不動産業を営む双子の姉妹を主人公に据えた『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』である。その第1話は、前年に閉館した映画館・吉祥寺バウスシアターを前に、姉妹が「吉祥寺も終わったな」とつぶやく場面から始まる。バウスシアターはマキも高校時代によく映画を観に行っただけに、そのセリフには自身の感慨も込められていた。
最近は「普通の街」になりつつある吉祥寺?
最近では吉祥寺もチェーン店が増え、「どこにでもある街」になっていく傾向があるという。そうした変化に対し、マキは《吉祥寺って、人が温かい、若い人もチャレンジしやすい、常に変化があって刺激もある。そういうイメージだし、事実そういう面もある。けれど私みたいに思い出のある人には好きだった店が閉店するなんていう変化は、理屈じゃ説明できないさみしさがあるんですよ》と、地元で育った者ゆえの複雑な心中を明かしている(※13)。
江口寿史もまた、昔からの個人経営の店がなくなっていくのを惜しむが、同時にそれを守っていく難しさも承知している。マキヒロチが吉祥寺について語ったのと同じ雑誌の特集では、こんなことを話していた。
《変わらないことを守るって実は大変なことで、同じことをやっていては続かない。ルーティン化して、店も人も何だか記号になっちゃうと、もうダメですね。常にもてなしの心を忘れず、工夫と努力をしている、と感じたとき、僕はその店に通います》(※13)
「店も人も記号になってしまうとダメ」
江口をはじめ1980年前後に台頭したマンガ家たちは、先述したとおり記号ではない表現を求めて試行錯誤を重ねてきた。そう考えると、「店も人も記号になってしまうとダメだ」という言葉には、彼自身の創作に対する姿勢も反映されているように思える。
※1 『散歩の達人』2006年5月号
※2 『東京人』2012年6月増刊
※3 『自由時間』1998年3月号
※4 『芸術新潮』2016年1月号
※5 『文藝春秋SPECIAL』2012年冬号
※6 『週刊文春』2011年5月19日号
※7 『週刊文春』2009年4月16日号
※8 『マルコポーロ』1994年7月号
※9 『新潮45』2002年5月号
※10 「SUUMOタウン」2017年10月19日配信
※11 『散歩の達人』2009年8月号
※12 「文春オンライン」2020年6月28日配信
※13 『Hanako』2016年2月25日号