日本の高校野球を「本気」にさせた涙がある。
今から8年前のことだ。
2013年9月8日、台湾・台中市。春、夏の甲子園で活躍した選手らを中心に結成された高校日本代表は、18歳以下のワールドカップの決勝に臨んだ。
相手は米国だった。神奈川・桐光学園の松井裕樹(現楽天)と広島・瀬戸内の山岡泰輔(現オリックス)の継投で対抗した日本だが、2―3とわずかに及ばず、準優勝に終わった。
米国の選手たちの歓喜の輪ができるかたわら、肩を落とす日本の選手たち。その中に、肩を震わせて大粒の涙を流す選手がいた。
森友哉だった。
大阪桐蔭の中心選手として2年生から注目を集めていた森は、ただ一人、前年に続く日本代表。この大会ではチームの主将、捕手、3番打者を務めた。「急造チームで挑む大会だからこそ、まとまりが大事になる」と前年の経験を仲間たちに伝え、予選からの躍進を支えた。
森の闘争本能が周囲を「本気」に
誤解を恐れずに言うならば、過去の日本はこの大会に「本気」ではなかった。
夏の甲子園の直後に開催されることもあり、そもそも「高校日本代表」というしっかりとした形で臨むこと自体、これがまだ3回目だったのだ。
前年の12年大会は大谷翔平(現エンゼルス)、藤浪晋太郎(現阪神)らを擁したが、結果は6位。甲子園を戦い終えた選手たちには、どこか「代表は甲子園で頑張ったご褒美」という雰囲気があった。
だが、13年は違った。「本気」の空気を作り出したのは、間違いなく森だった。
前年の米国戦では試合に負けただけでなく、2度も、本塁上のクロスプレーで相手走者から危険なタックルを食らった。怒りで目を血走らせながら悔しがる森の姿が印象に残っている。
1年間、燃えたぎらせた闘争本能。森は本気で米国を倒し、世界一を取りたかった。試合後の涙は、その悔しさから流れたものだった。
この年のワールドカップでの戦いぶりで、「高校日本代表」の価値は格段に上がった。全国の球児たちが「代表に入りたい」と口々に言うようになったのも、これ以降だ。
森の涙を見たのは、それ以来だった。