帽子の後ろからのぞくウェーブのかかった髪は、彼が子供の頃から憧れてきたというダルビッシュ有投手を思わせる。北国の漁師の家に生まれ、野球を始め、懸命に夢を追いかけてきた少年が、明日、3月31日、ついに札幌ドームのまっさらなマウンドに上がる。立場は変わった。既に自分が子供たちの憧れの存在になっていることを、彼はもう自覚しているはずだ。船は「大きな海」へと漕ぎ出した、もう戻ることは出来ない。
人口4000人に満たない小さな町から誕生した2人のプロ野球選手
去年のドラフト会議。ファイターズは初めて道産子選手を1位指名した、伊藤大海投手だ。彼の出身地は道南・鹿部町。ここは「奇跡のリリーバー」と呼ばれた名投手、盛田幸妃さんの出身地でもある。ドラフトで盛田幸妃投手が横浜大洋ホエールズに1位指名されたのは1987年のこと、33年前。人口4000人に満たない小さな町から2人のプロ野球選手が誕生、それもどちらも1位指名と大きな話題となった。この2人には漁師の息子という共通点もある。
北海道のHBCラジオでファイターズの応援番組を担当している私は、生前、盛田幸妃さんにはとてもお世話になった。解説者としてはもちろん、番組での共演や、鹿部町で2人でトークショーをさせてもらったこともあった。盛田さんの故郷への思いを伺ううちに、札幌出身の私にとってもいつしかそこは特別な土地のひとつになっていった。
2015年に盛田さんが病でお亡くなりになった後も、私はタイミングを見つけては鹿部町を訪れる。漁船のある海を眺めて、盛田さんのお墓参りをして、いつものお寿司屋さんへ行き、いつものお宿にお世話になる。そんな時に私の相手をしてくれるのは、盛田さんの同級生や後輩の方々。
去年の7月も私は鹿部にいた。ビールを傾けながらのあの日の話題のほとんどは「伊藤大海投手」だった。嬉しそうに皆さんが私に「ひろみ」「ひろくん」のことを教えてくれた。地元の少年野球チーム「鹿部クラップーズ」の頃から秀でていたこと、高校は駒大苫小牧に進み、センバツでは完封勝利だったこと、一度は関東の大学に進んだけれど、北海道に戻って苫小牧駒大に入り直し、先発完投型として活躍したこと、大学ジャパンでは抑えも務めてどこでも投げられるのを証明したこと……。学生時代の活躍は数字やニュースで知っていたけれど、どんな場所でも伝えられることのない何とも心地よいぬくもりのある情報だった。
「ファイターズだったらどんだげいいごどだべな」
それには理由がある。目の前の皆さんは伊藤投手のお父さんの同級生や後輩なのだ。すなわち、盛田幸妃さんと伊藤投手のお父さんも中学までは同級生。かつては友達がプロ野球選手になり、今度は友達の子供がプロ野球選手になるのかもしれない。盛り上がらないわけがない。
海の町での会話はもちろん浜言葉で展開される。
「プロにいってくれるならどごだっていいけど、ファイターズだったらどんだげいいごどだべな」
このセリフは夏のあの夜に何度聞いたことだろう。