居場所を失った日本を捨て、フィリピンへ飛ぶも、待っていたのは究極の困窮生活……。そうした邦人の存在をご存知だろうか。彼ら“困窮邦人”の多くは、異国の地で所持金を失い、帰国することもできず、今もフィリピンの庶民に助けられながら何とか生き延びている。

 ノンフィクションライターの水谷竹秀氏は著書『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社文庫)で、そうした窮状にあえぐ日本人男性を取材した。ここでは、同書の一部を引用。フィリピンパブにのめり込み、女を追いかけ、日本を飛び出した末にフィリピンの教会で暮らすようになった男性、吉田(仮名)が送る日々を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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同化

 未明のバクララン教会。ひっそりと静まり返っている中、前方から「ええーん、ええーん」とうなり声が聞こえる。「あれがここの名物おじさん」と吉田が指さす方向を見ると、頭が禿げ上がった中年のフィリピン人男性が意味不明な言葉とともに左肩と首を奇妙にすばやく動かす動作を繰り返していた。

フィリピンは国民の9割以上がキリスト教徒 写真=著者提供

 別の列では夫婦とみられる男女が並んで両肘を肘掛けに載せて手を組み合わせ、目を閉じて静かに祈りをささげていた。近くには、白髪の老婆が座ったまま顔を下に向け、寝息とともに少し上下に揺れながら器用に眠っている。しばらくすると、教会の警備員が鉄製の棒で長椅子の端を「ガチャガチャ」と叩き始め、教会内に響き渡るその音で寝入っている人々は次々と目を覚ました。教会に通い始めて4カ月が経過した2009年10月、吉田と同じ境遇を味わってみようと、私が教会での生活を少しだけ体験した時のことである。同じ長椅子で寝てみようとしたが、色々と体勢を変えて工夫しても、木の椅子が硬くて寝心地が悪く、うまく眠りにつくことができない。

写真=著者提供

 教会の外にある公衆便所付近には衣類らしき物を地面に敷き、顔にタオルを掛けて寝ている人がいた。公衆便所は夜になると閉鎖されるため、教会に寝泊まりしている人々は便所近くの壁沿いの一角で立ち小便をする。アンモニア臭があたりに立ち込めている。突然みすぼらしい格好をした老婆がいきなりその場にしゃがみ込み、人目を気にせず「シャー」と垂れ流し始めた。そこにはたとえ貧しくても、どれだけ厳しい環境にいようとも、日常を生き延びようとする人々が入り乱れており、混沌とした世界が広がっている。吉田はその世界にのみ込まれ、そこで生きる人々に同化しているように見えた。