“吉田(仮名)”という日本人男性は、マニラの教会を根城にした路上生活を続けている。日本からフィリピンへと移り住み、帰国の手段まで失ってしまった彼のような“困窮邦人”はいま決して珍しい存在ではない。

 ここでは、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏による『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社文庫)の一部を引用。社会問題ともいえる“困窮邦人”の実態を明らかにする。(全2回の2回目/前編を読む)

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家族との断絶

 出会った当初は、人とふれ合うことが楽しく「ガハハハ」と大笑いを連発していた吉田だったが、月日が経過するにつれ、無銭生活という現実の重さが徐々にのし掛かっていたのだろう。何度も会ううちに、私との会話の中で確実に笑顔が消えていくのが分かった。

「日本におって寂しかった。こっちに来れば衣食住、生活の面で何とかやっていけるのかなと。日本よりもフワッとした楽しい生活が待っているんじゃないか。でも甘い考えだった」

写真=著者提供

 吉田と私はよく、バクララン教会の外にある簡易食堂でビール片手に話をした。ある晩吉田は、これまで話に出てこなかった姉の存在を話し始めた。以前、フィリピンに来た時も遊びすぎが原因で所持金がなくなり、10万円を送金してもらい、何とか帰国できたという。  

「だから今回は(姉に)金を返すという前提で借りたい。自分自身ちゃんと更生する。前回のことも含め、二度とフィリピンに来ないと約束する」

 姉に事情を説明すれば何とかなるかもしれないという気持ちがあったのだろう。吉田から番号を教えてもらい、日本の姉の家に電話を掛けた。前回送金してもらって以降、疎遠になってしまったため、私が代わりに連絡することになった。

 電話に出た相手の声は中年の男性。すぐ姉の夫、義理の兄だと分かった。

「○○さん(吉田の姉)はいらっしゃいますでしょうか?」

「今は出掛けている」

「あとでお電話させて頂いてもよろしいでしょうか。実は……」

 そして吉田のフィリピンでの窮状を説明し、助けてもらうことが可能かどうか尋ねた。

「前にいっぺん世話したことがあったけど、あいさつの一言もなかった。義理も何もない。(姉は)怒っている。そんなふうじゃいかん。先祖までほかって(放り捨てて)、全部うちであずかっとる。話し合う余地はない。仏壇からお墓のお守りまで何もせずに……。困ってから電話されてもこっちも困る」

 そして以前フィリピンに送金した時のこと、帰国してから数週間自宅に宿泊させたことを話し始めた。