高齢のおひとりさま世帯が急増している。2007年時点で15.7%だった高齢者世帯の独居率が、2019年にはなんと27%にのぼるという。
累計111万部突破のベストセラー『おひとりさまの老後』シリーズの著者であり、おひとりさまで過ごす老後生活の素晴らしさを説いてきた上野千鶴子氏は最新刊『在宅ひとり死のススメ』で、施設でもなく、病院でもなく、おひとりさまが自宅で自分らしい最期を迎える方法を提案。在宅で最期を迎えることの幸福、そして実際にかかる費用について、本書より抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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日本を「収容所列島」にすべきか?
施設はもういらない、というのがわたしの立場です。施設が足りないというけれど、これ以上作らなくてもいい。作ったが最後、施設は持ち重りします。建物は管理しなければならないし、雇用は維持しなければならないし、ベッドは埋めなければなりません。施設を作りすぎた地域では、年寄りの奪い合いが始まっているとも聞きました。2015年施行の医療・介護一括法(医療介護総合確保推進法)で、施設入居の条件が要介護3以上に厳格化されてから、待機高齢者は激減しました。それでも待機高齢者を全員収容するだけの施設をつくれば、29万人分の施設が必要になります。それでは日本は「収容所列島」になってしまうでしょう。
施設と病院の好きな年寄りはいない……これが現場を歩いたわたしの確信です。病院は患者のつごうに合わせてではなく、医療職のつごうに合わせて作ってあります。病院がガマンできるのは、いずれ出て行く希望があるから。施設は入ったが最後、死ぬまで出られません。その施設をできるだけ暮らしの場に近づけようと、建築家の外山義(とやまただし)さんが『自宅でない在宅』(医学書院、2003年)を唱え、個室特養を基本にするという理想を掲げました。2003年には全室個室特養を「新型特養」と呼んで助成した厚労官僚の思いも、わずか3年でホテルコスト(居住費)徴収という挫折を味わい、事業者は梯子をはずされました。ですが、わたしの目からは、個室特養はいずれ在宅介護に移行するための過渡期の産物だった、とあとになって歴史的に位置づけられるのではないかとの思いが消えません。事実、世界の高齢者介護の流れは、施設から住宅へと完全にシフトしています。デンマークでは1988年にプライエムと呼ばれる老人ホームの建設が法律で禁止され、プライエムはプライエボーリという高齢者用住宅へと様変わりしています。実態はプライエムの個室を拡充して部屋ごとに郵便受けをつけただけのような改築もありましたが、基本は高齢者に住宅に住んでもらってできるだけ自立した暮らしを営んでもらうという理念です。だとしたらその住宅が集合住宅であるか、そうでないかは大きな違いではありません。それにわたしにどうしても納得がいかないのは、年寄りばかりが集まって暮らさなければならない理由がわからないことです。
高齢者はいわば中途障害者のようなものです。高齢者も障害者も、老若男女が集まるふつうの街にふつうに住む、それをノーマライゼーションといいます。街が変われば、施設なんていらなくなります。