フィリピン人の中にいながら「可哀想だ」と思われている
「色々な日本人がおるけど、(彼らは)フィリピン人とはお金を介した付き合いしかない。俺みたいにどん底になってフィリピン人と一緒に飯食って、そういう中に自分が入り込んどるから、金のない中でこうやってわいわいやっとれる。ここにいる人たちはやりたいことがあっても金がないからできない。材木1本にしても買えないから、虫の食ったような廃材を持って来てそれで何か作る。物を大事にして、何とか生活費を生み出そう、家族を養おうとしとる。夢はみんな持っとる。でも現実にはできない」
人は、同じ空間に身を置き、同じ物を食べ、音や匂いといった生活の要素を共にすることで共感することがある。それは言葉や文化の壁を越えたところにできる共同体なのかもしれない。
「フィリピン人は優しい。でも、仮に俺がフィリピン人だとしたら、こんなに親切にしてはくれないだろう。俺はあくまでも外国人なんだよね。外国人でありながら、フィリピン人に近い状態っていうのは、『可哀想だな』っちゅうのが彼らの中にある」
教会で長らく寝泊まり生活を続けていると、自然に誰が同じホームレスなのかが分かってくる。毎日見る顔ぶれが限定されてくるからである。教会で同じように生活を続けるフィリピン人たちにも吉田の存在は知れ渡っていた。
教会周辺で靴磨きをして生活している中年のフィリピン人男性。彼の収入は1日200~300ペソ(当時の為替レートで約400~600円)。持ち歩いていた木箱の中には針や金づち、ブラシ、接着剤、着色剤などの商売道具がぎっしり詰まっていた。教会内や周辺で路上生活を続けてもう5年になるという。小柄な体に紺色のポロシャツ、ジーンズ、そして野球帽をかぶっていた。笑うと前歯が4、5本抜けているのが見える。歯医者とは無縁の世界で生きているのだろう。