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“動物の死骸を投げ入れ”“ダンプで店舗に突っ込む” 「ヤクザ」が資金稼ぎのために行ってきた“汚れ仕事”の実態

『日本のヤクザ 100の生き様』より #1

genre : ニュース, 社会

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 毎日のように土地の値段が上がり続けていたバブル景気においては、この「能力」はとりわけ重宝されていた。開発予定地からの立ち退きを拒否する地権者や住人がいても、ヤクザは彼らの権利など意に介さない。獰猛そうな大型犬を連れた刺青の男が周囲を威嚇しながら徘徊し、糞尿や動物の死骸を住居に投げ入れ、ひどい場合にはダンプで店舗に突っ込むなどして、無理やり要求を飲ませるのだ。そのようにして地上げを素早くまとめられるということは、依頼者である企業がその分だけ土地を安く仕入れられることになり、最終的に開発を終えて売却したときに得られる利益の最大化につながる。

 たとえば現在の価値が100億円で、1年後には確実に200億円に値上がりする(と思われる)土地があったとする。開発会社は2カ月間でその土地の80%までを自力で買い進めたが、よりによってど真ん中に立つアパートの住人たちが、頑なに立ち退きを拒んでいる。このままでは到底、1年で開発を終えることはできない。

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 そんなとき、「30億円くれれば、1カ月で確実に追い出してみせます」という地上げ屋が現れたらどうするか。相手の正体が暴力団だとわかっていても、「よろしくお願いします」といってカネを差し出す開発会社が、バブル期には実に多かったのだ。

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 だが、そんな夢のような時代はいつまでも続かなかった。

日本経済の変遷と山口組の分裂

 90年代初頭のバブル崩壊後、ヤクザの存在は日本経済の新たな厄介事として浮上する。焦げついた融資の担保物件の多くが「暴力団がらみ」となっていたために、金融機関が不良債権処理を思うように進められなかったのだ。

 ほんの少し前まで、銀行とヤクザは利益を分け合う関係だったわけだが、それもバブル崩壊を機に一変していた。両社がウラで手を結ぶことができたのは、経済の急成長にともなって、互いの取り分が自然と増えていたからに過ぎなかったのだ。

 そして92年3月、暴対法が施行され、ヤクザに対する包囲網は徐々に狭まっていく。