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“動物の死骸を投げ入れ”“ダンプで店舗に突っ込む” 「ヤクザ」が資金稼ぎのために行ってきた“汚れ仕事”の実態

『日本のヤクザ 100の生き様』より #1

genre : ニュース, 社会

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 一方、大規模公共事業にからんで大金を儲けていた面々にも、やがて冬の時代が訪れる。2001年に始まった小泉構造改革で公共事業が劇的に減り、当局の監視も厳しくなって、ヤクザが数十億から百億円もの大金を一気に手にするチャンスはほぼなくなってしまったのだ。

小泉構造改革から恩恵を受けた弘道会

 ところが、そんななかでも独り潤う組織があった。中部地方を地盤とする弘道会だけは、小泉構造改革から相当な恩恵を受ける結果となったのだ。

 小泉政権は、派遣労働の規制緩和や円安誘導を同時に行い、輸出型産業の成長を強力にあと押しした。その筆頭格が中部地方の自動車産業である。バブル崩壊後の長期不況から日本が立ち直れたのは、中部地方を中心とする輸出産業が牽引力になったからだといえる。それを陰で支えたのが、派遣や請負など企業にとって雇用負担の少ない労働力だ。

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 だが、こうした人員を大量に集めるには、たんに殺風景な工業地帯に住居を用意するだけではだめだ。彼らの従事するメーカーでの部品の組み立て作業は苦痛なほど単調で、週末にはストレス発散が欠かせない。多くが独身男性である彼らは、金曜日の夜ともなると名古屋に繰り出し、弘道会が仕切る歓楽街に吸い込まれたわけだ。

 司忍・六代目山口組組長が誕生したのは、弘道会のシノギと「いざなみ景気」が絶頂を迎えていた、2005年7月のことである。

 その後、当局の締めつけがさらに強まり、弘道会もまた資金源を失っていく。しかし六代目の出身母体であり、ナンバー2の若頭の地位をも押さえていた弘道会には、まだやれることが残っていた。ほかの組織から収奪しつつ、最後のオアシスである東京の利権を独占するのである。

 弘道会がそれを目指した結果、組織内の矛盾が増大し、分裂に至ったのは見ての通りである。

 山口組の分裂もまた、終わることのない日本経済の変遷と無関係ではなかったということだ。

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日本のヤクザ 100の生き様

別冊宝島編集部

宝島社

2019年12月11日 発売

“動物の死骸を投げ入れ”“ダンプで店舗に突っ込む” 「ヤクザ」が資金稼ぎのために行ってきた“汚れ仕事”の実態

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