唯一のタレントに逃げられたアミューズ
そもそもアミューズは、創立者で代表取締役会長の大里洋吉氏(74)が手弁当で始めた芸能事務所だ。大里氏は元々、渡辺プロダクションのマネジャーとしてGS全盛時代のザ・ワイルドワンズや梓みちよ、そしてあのキャンディーズらを担当していたが退社し、デビュー前の歌手・原田真二に出会う。そこで原田をマネジメントするため、1977年10月に代官山の小さな部屋を会社登記しアミューズを立ち上げたのだという。
「当初は資本金500万円、社員数人の小さな事務所でした。原田は『てぃ~んずぶるーす』でデビューして大ヒット、一気に売れっ子になりました。しかし大里さんはその直前から、解散宣言をしたキャンディーズのプロデュ―ス業務を請け負うことになり、1978年4月の解散コンサートまでそちらに付きっ切りになってしまった。そして再びアミューズに戻ったところ、原田本人から『アミューズを辞めたい』と言われてしまった。
唯一のタレントに逃げられた状態で、さて次はどうしようかとなっていたところに現れたのが、デビュー目前のサザンオールスターズでした」(同前)
1978年6月、サザンは「勝手にシンドバッド」でデビューし、大ヒットとなった。以降、アミューズはサザンとともに成長してきた。
いまや社員数300人超えの巨大事務所
「当初は音楽事務所の色合いが濃かったのですが、初期に三宅裕司や富田靖子などの俳優陣が所属したことで、ミュージシャンと役者両方をかかえる事務所となっていきました。1980年代半ばには『大里くん祭り』と会長の名前を冠し、所属アーティストたちが勢ぞろいするライブイベントが人気を博したような家族的な事務所です。さらに経営的に転換期となったのは1999年にサザン初の東京ドーム公演が成功したあたりからの数年。ライブビジネスが軌道に乗り、2001年にはナスダックや大阪証券取引所への上場を果たしました。
その後、2006年に東証一部へも上場し、急速に事業を拡大していきました。ファンクラブ運営やグッズ制作などを内製化し、いまや社員数は300人超え、資本金は15億円以上です。福山雅治、Perfume、エレファントカシマシや星野源。それに賀来賢人や吉沢亮、清原果耶といった若手の売れっ子俳優まで多彩なアーティスト200数十組が所属する巨大事務所になりました」(同前)
しかし成長すればするほど、巨大化したからこその苦悩が付き纏った。