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4、5年は使われていない“牢屋”

 営倉は一種の座敷牢で、私の連隊では営門のわき、衛兵所の横にあった。三尺の通路がついた細長い木造平屋に12畳くらいのへやが4つ並び、その入口を10センチ間隔で木の柱でふさいであるのが、いかにも牢屋の感じを出していた。つれてこられておどろいたことに、この4、5年はだれもはいったことがないとかで、ホコリがうずたかくつもっているのだ。さっそくホウキとハタキ、雑巾を渡されて大掃除、なにしろ自分の住むところだから、念入りにきれいに仕あげた。あとはなにもすることがない。支給された毛布6枚を座布団のようにたたみ、牢名主よろしくデンとあぐらをかき、ふてくされて流行歌をうなっている。評判のよいわけがない。

 なにもせずにメシを食い、1発もなぐられない結構な暮らし。二度、三度となると古年次兵も張り合いぬけして、タバコや羊かんを差し入れてくれるようになり、重営倉をくらうたびに太って出てくるという、連隊名物知らぬ者なしのカオになった。

 しかし、楽をしたとはいえ、営倉つまり牢屋にはいることの精神的打撃は大きい。はじめての経験で、俺の人生は駄目か、と思った私は、かえってひらき直った。よし、何回でもやってやれ、いくらやられても負けるものか。小さくなればつけこまれる。俺は逆手に出てやる。そして満州の馬賊になるんだ。(中略)

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 その後も、暴言を吐いた幹部候補生を殴るなどの“問題行動”を繰り返した金丸氏は、五度目の重営倉の後に脱走を図る。しかし、再び母親の住む東京を訪れたところを憲兵隊に捕まってしまい、遂には軍法会議にかけられることになった――。

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一斉の弁明なしで懲役8カ月

 軍法会議は、九段坂下の憲兵隊総司令部でおこなわれた。白地に金筋、星という法務官の肩章に異様な圧迫感を覚え、弁護士もつかず、一切の弁明もなし、2週間後の判決が懲役8カ月。ただちに代々木の近衛衛戍監獄につながれたのである。

 ここで私は、いままでの反抗的態度を変えざるを得なくなった。ヘタをすれば殺される、いや、いつのまにか死んでしまってもいっこうにかまわないという世界が、そこにあったのだ。

 衛戍監獄の重営倉は地獄だ。コンクリート床に、小さな高窓が一つ。最高刑は皮チョッキの刑という。厚さ5ミリの牛皮チョッキで胸と背中をおおい、皮紐のバンドで両わきを結ぶ。頭から水をかけると、皮が次第にちぢんで胸を圧迫する。息もできず、やがて肋骨も折れる苦痛を味わうのだ。