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元妻へは毎月200万円を送金

「必要なんだよね。ほら、Mちゃんは、厳しいからさ、少しでも遅れたら弁護士からギャンギャン言ってくるんだよ」

 こう言って苦笑いしながら、國重は何としても元妻への送金をせねばならないと思っていたようだった。その額毎月200万円。尋常な金額ではない。普通の人ならとても工面できない金額、ましてや身体の自由が利かなくなっている今の國重が、どうやって毎月200万円もの大金を調達するのか? そう思えば先にあげた怪しげな人物たちと接触するのも致し方ないかと、納得する以外ないのだが。國重に残されたのは“けもの道”なのだ。その道に縋って生きることしか國重にはもう残されていないように思える。本人がそれを自覚しているかどうかは別ではあるが。

 國重が個人として支払わねばならないカネは毎月、ゆうに500万円を超える。この尋常でないカネを工面せねばならない。普通の人間ならば、絶望してしまいそうな額だ。けれども、國重の口から、そうした言葉、絶望や諦めを臭わすような言葉をついぞ聞いたことはない。

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「國重さん、本当にたいしたもんだよね。こんな身体になっても毎月、何百万円もカネを作ってくるんでしょう? たいしたもんですよ。國重さんじゃなければ、できない芸当ですよ」

 すると國重はじっとこちらを見つめていたが、

「どうやってお金を作ってんですか?」

 と聞くと、

「へへへ……」

 と言いながら、

「それは秘密だよ」

 と笑ってみせた。

 そうした國重が背負う、数々の支払いの中の1つに、実母が入院している病院への支払いがあった。大正11年(1922年)3月生まれの國重の母英子は、10年ほど前から鎌倉にある老人養護施設に入所していた。

 國重は母英子への思慕を隠そうとはしない。話が肉親、特に母英子に及ぶと、時には涙を流すこともあった。自らの身体の不調、不自由さに触れては、

「まだおふくろが生きているから……、俺が先に死んじゃうわけにはいかないんだよ」

 と漏らして、涙を流した。最近は身体の不調もあり、母がいる鎌倉に顔を出せていないことが心にわだかまっているようだった。