大阪の中堅商社イトマンを通じて3000億円もの大金が闇社会に消えたとされるイトマン事件。バブル期に起きた戦後最大の経済事件の詳細を明らかにしたのは、ある一人のバンカーによる告発がきっかけだった。その男こそ、旧住友銀行でバブル期に政官財の要人へ食い込み、収益拡大で成果を上げ将来の頭取候補と呼ばれた國重惇史氏だ。
ここでは、ノンフィクション作家の児玉博氏の著書『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』(小学館)を引用。本人への取材を通じて國重惇史氏の栄光と転落を描いたビジネスノンフィクションから、國重氏が内部告発に至った背景について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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多くの逮捕者が出た「イトマン事件」
昭和61年(1986年)10月、住友銀行は平和相互銀行を合併した。國重はそれを見届けるように、翌年4月、渋谷東口支店長となる。もとは平和相互銀行の支店だったところで、國重にとっては初めての支店長就任であった。そして、業務渉外部の部付部長として本店に戻って来た國重を待っていたのは、國重の名をさらに高めることとなる「イトマン事件」だった。
戦後最大の経済事件と言われるこの事件では、住友銀行による平和相互銀行合併のきっかけを作ったイトマンをめぐり、法外な価格での絵画取引やゴルフ場投資により多額の資金が闇社会に流出、多くの逮捕者が出た。メインバンクである住友銀行の責任も問われ、“天皇”と呼ばれた磯田一郎(編集部注:当時の住友銀行会長)の長女が絵画取引に関わっていたこともあり、最後は磯田の辞任にまで至った。この事件が、國重の告発によって明るみに出たことは『住友銀行秘史』に記された通りだ。
内部情報源…“ヤメ検”からの電話で始まった、國重のイトマン事件
“國重のイトマン事件”は1本の電話から始まる。
「土屋東一って弁護士さん知ってる?」
土屋弁護士はいわゆる、“ヤメ検”と言われる検事出身の弁護士だった。筆者が頷くと、國重は嬉しそうに、
「そう」
と言ってはポツポツと話を進めた。國重が楽天証券の会長だった時代だ。國重のオフィスは東京・六本木の「六本木ヒルズ」19階にあった。この“欲望の塔”にもなぞらえられた「六本木ヒルズ」には、楽天を始め、村上世彰の会社「M&Aコンサルティング」、堀江貴文の「ライブドア」などが入っていた。東京を睥睨するかのようなその眺望は、経済を席巻するネットベンチャーの勢いを象徴していた。そこから、話は平成の初めに遡る。
「電話があったんだよ、その土屋弁護士から『國重さん、伊藤寿永光って知ってる?』って」
“スエミツ”という聞き慣れぬ名を國重が「知らない」と答えると土屋弁護士は笑みを含んだ声で言うのだった。土屋は住友銀行の“政治部長”と言われ常務となっていた、松下武義(編集部注:当時の住友銀行取締役)の紹介だった。
「あんたに似ているんだよ……」
「似てるってなんですか?」
「一見すると爽やかなんだけども……」